愛媛県のほぼ中央に位置する喜多郡内子町は、古くから木蝋や手すき和紙といった産業で栄えた町である。中心部には、江戸時代の暮らしを今に伝える町並みが広がり、国内有数の製蝋業の商屋敷である本芳我家住宅、その筆頭分家の上芳我家住宅(木蝋資料館として公開)や創建100周年を迎えた芝居小屋「内子座」など、愛媛を代表する観光スポットを多数有する。
そんな内子町の魅力は、町並みだけにとどまらない。中心部から一歩足を延ばした山間部には、自然と人々の暮らしが調和した日本の原風景とも言える世界が広がっている。今回紹介する御祓地区もその1つだ。
屋根付き橋とシダレザクラ ~常盤橋~
内子町役場から県道56号を東に車で10分ほど進んだところ、御祓川流域に御祓地区はある。120世帯、260人ほどが暮らす、農業が主産業の集落だ。
川沿いの道を走っていると、木製の柱と杉皮葺きの屋根が特徴的な、なんともレトロな雰囲気の橋に出会う。御祓川中流に架かる「常盤橋」だ。そのルーツは明治時代に遡る。かつてここには木材と土で簡単な屋根が付けられた石橋が架けられており、御祓の人に愛されていた。その後、屋根のないコンクリート橋に改修されたものの、住民の熱い思いによって寄付が集まり、平成16年に橋に屋根が架けられ、明治期の常盤橋のあった御祓の風景が帰ってきた。
周囲に溶け込むその姿は、見る者をどこか懐かしい気持ちにさせる。また、橋を渡った先には立派なシダレザクラがあり、春には見事な桜を楽しむことができる。
癒しの空間~紅葉ヶ滝~
常盤橋から下流に1キロほど進んだところにあるのが、「紅葉ヶ滝」だ。渓谷沿いに遊歩道が整備されており、大自然の空気をたっぷり浴びながら滝を目指す。滝まではほんの数百メートルの道のりだが、木々に囲まれた静かな空間は、まるで別世界に迷い込んでしまったかのようだ。
紅葉ヶ滝の名の通り、秋にはモミジやイチョウに彩られ、落ち葉が滝の辺り一面を覆い、紅葉ヶ滝をより一層幻想的な空間へと変化させる。
落差17メートルの滝は、滝つぼの間近まで近づくことができる。そばに建てられた東屋で、緩やかな滝の流れを見ながら癒しのひと時を過ごしたい。
日本の棚田百選~泉谷の棚田~
紅葉ヶ滝から再び県道56号に戻り、山道を進むと、木々の間を抜けた山の谷間に、見る者を圧倒する景観が現れる。標高470メートルに93枚もの棚田が並ぶ「泉谷の棚田」だ。平成11年に農林水産省から「日本の棚田百選」に選ばれたこの棚田の特徴は、なんといってもその傾斜度だ。農水省では傾斜度が20分の1(水平に20メートル進んで、1メートル高くなる傾斜)以上の水田を棚田と認定しているが、泉谷の棚田の傾斜度は3分の1で、棚田百選の中でも1、2位を争う急勾配だ。
泉谷の棚田は、勾配の差や水田の所有者の違いから、左右の斜面で石積みと土の法面の2つの異なる工法で築かれている。美しく並ぶ石積みも、鮮やかな草の緑に包まれた土の法面も、それぞれに違った味わいがある。
谷間の向こうには山の麓にある御祓の集落が見える。かつては集落の近くまで棚田が広がっていたそうだ。
訪れた日は夏の終わりのかなり暑い日であったが、谷間を抜ける風が心地よかった。春はシャクナゲの花、夏の青々と伸びる水稲と秋の黄金色に輝く稲穂、さらには冬の雪化粧と、季節とともに変化する棚田の美しさを、1年を通して楽しむことができる。
そして、青空の下の棚田の魅力もさることながら、夕暮れ時の姿は一際美しい。夕焼け空が棚田の水面を朱く染め上げる様子は、まるで映画のワンシーンのようで、見る者を魅了してやまない。
棚田での体験
"体験"することも棚田の楽しみ方だ。泉谷の棚田では4月に自然を満喫できる「自然浴ツアー」、6月には自分でかかしを作る「かかしづくりコンテスト」など、さまざまなイベントが開催されている。
なかでも、平成16年から毎年実施されている「棚田オーナー制度」では、年に4回、オーナーと農家が交流し、田植えや草刈り、稲刈りなどを体験することができる。都市部では得られない経験で、身も心もリフレッシュするのはいかがだろうか。
コラム 「泉谷地区棚田を守る会」
多くの人を魅了する泉谷の棚田。しかしながら、この美しい棚田をどのように次世代へつないでいくかが、今、大きな課題となっている。
現在、棚田を常時手入れしている農家はわずか3戸で、いずれも後継者がいない。こうしたなか、棚田を次世代へつなぐために結成されたのが「泉谷地区棚田を守る会」だ。同会では地
元自治会と協力し、棚田オーナー制度をはじめとする都市部との交流を通して棚田の魅力を伝え、棚田を未来へ残すための活動を行っている。
棚田の美しさは自然に造られたものではない。棚田は水の管理や草刈りなど、平地の何倍も手間がかかる。地域の人たちのたゆまぬ努力が、先人の築いた財産を今に伝えてきたのであり、荒廃してしまうと、再びこの風景を取り戻すことはできない。
取材当日も、棚田の絶景を目当てに来たであろう県外からの観光客の姿を見かけた。この美しい景観を後世へ残せるよう会の活動が続くことを願わずにはいられない。
棚田でできる米は、ブランド米「泉谷の棚田米」として知られている。おいしさの秘密は、高い標高が生む昼夜の寒暖差と、ミネラルを豊富に含んだ湧き水にある。人気の棚田米は内子町役場を通して購入することができるので、ぜひ一度ご自宅でも味わっていただきたい。
また、今年3月には、棚田のすぐそばに民家を改装したゲストハウスがオープンする予定だ。ゲストハウスに滞在して棚田での農作業を体験できるだけでなく、地元農家の家庭の味を堪能することもできるという。ゲストハウスを通して、都市住民と泉谷の住民とのさらなる交流の発展が期待される。
棚田オーナー制度や棚田米などへのお問い合わせ先 | 内子町町並地域振興課(電話:0893−44−2118) |
---|
光る匠の技 ~三島神社~
泉谷の棚田からさらに林道を進み、大森山の中腹にある「三島神社」へ向かう。鳥居から続く石段は苔むしており、趣がある。
町文化財に指定されている拝殿・本殿には各所に龍や狛犬の精巧な彫りが施されており、古の職人の技術力の高さがうかがえる。また、町指定天然記念物になっている社叢(神社の森)には、樹齢数百年を超えるような大木がいくつもあり、本殿・拝殿とともに荘厳な雰囲気を醸し出している。
岩の上の祠~だらり権現~
泉谷の棚田近くに、「だらり線」という変わった名前の林道がある。このだらり線を進んだ先に、「だらり権現」と呼ばれる権現が鎮座する小さな祠がある。
この辺りには高さ数メートルの巨大な岩がいくつも連なっており、そのうちの1つの頂上に、だらり権現の祠は建立されている。その興りは、交通・道路網が今とは比べ物にならないほど未発達だった時代、石鎚山を望めるこの場所に石鎚山信仰の拠点として「石峰山大権現」を開山したことに始まる。
だらり権現へは、だらり線の脇にある登山道から歩いて向かう。登山道口近くに張られたしめ縄が、ここから先が神聖な領域であることを教えてくれる。
神秘的な雰囲気を醸し出す大きな2つの岩の間を抜け、備え付けられた2本のはしごと、さらにその先、頂上へ続く鎖を登り、祠を目指す。鎖で登るのはほんの数メートルだが、実際に登ると垂直の壁を登っているように感じる。足元も不安定なので、お参りの際は十分にご注意いただきたい。
鎖を登り切った先の頂上は平たんで草木が生い茂り、岩の上であることを忘れさせる。頂上からは五十崎の町や、晴れていれば石鎚山を望め、季節とともに変化するパノラマを堪能できる。
はしごと鎖を使った一味違ったお参りができるだらり権現。体力に自信のある方には、神様が見ているこの眺めを自分の目で確かめていただきたい。
おわりに
今回紹介したスポットへは、道幅が狭い箇所も多く、運転には十分な注意が必要だが、その分たどり着いた先で得られる感動はひとしおだった。
町並み、村並み、山並みと、内子町の魅力は筆舌に尽くしがたい。日本の原風景「内子町御祓地区」に、皆さんも足を延ばしてみてはいかがだろうか。春には棚田の周辺に咲くシャクナゲが迎えてくれるはずだ。
(門川 真由美)
取材協力
内子町町並地域振興課
内子町の観光に関するお問い合わせ
内子町ビジターセンター(電話:0893−44−3790) 営業時間9:00~17:30(木曜休館)
※ 10月〜3月は16:30閉館
参考文献
内子町誌 うちこ時草紙 Ⅰ「文化編」