私たちは活力ある地域づくりをサポートします。

知る人ぞ知る愛媛の観光地

【大洲編】龍馬が駆け抜けた 肱川沿いを行く

2015.07.01 知る人ぞ知る愛媛の観光地
今回から、クローズアップ「知る人ぞ知る愛媛の観光地」と題して、県内の観光スポットを市町ごとにご紹介する。
愛媛には道後温泉やしまなみ海道など、国内外でも有名な観光スポットがたくさんあるが、それ以外にも、知っている人は少ないものの魅力的な観光スポットがいくつも存在する。そこで本シリーズでは、これからもっと世の中に広めたい観光スポットや、地元の人のオススメスポットなどを紹介する。第1回は、大洲市を取り上げる。

大洲市は、愛媛の南西部に位置し、人口約45,900人、面積は432.2km2。山・川・海に恵まれた自然と城下町の町並みが残り、伊予の小京都ともいわれる。市の中央を流れる肱川は、延長103kmの一級河川である。そして、この肱川沿いは、幕末の志士 坂本龍馬が脱藩のため駆け抜けた道でもある。今回は、龍馬脱藩にかかわりの深い、知る人ぞ知る大洲市の肱川沿いを紹介する。

画像:大洲市

坂本龍馬脱藩の道

 

肱川上流域

河辺・肱川地区

肱川上流の河辺地区には、肱川支流の河辺川が流れている。河辺川上流には、ゆきの橋やおび橋など8つの屋根付き橋があり、「かわべまんはちきょう」と名付けられている。このうち御幸の橋は安永2年(1773)に架設された最も古い橋で、現存の橋は明治19年(1886)の洪水で流失したものを同年に再建したものである。坂本龍馬も屋根付き橋を渡り、急峻な山道を走り、当時宿場のあった泉が峠で体を休めたのだろう。
また、河辺地区には、龍馬が通過した河辺地区の峠や谷の様子を写真パネルで紹介し、脱藩ルートを疑似体験できるコーナーのある「坂本龍馬脱藩之日記念館」がつくられている。

御幸の橋

河辺川が肱川に合流するあたりには、伊予の秘湯と言われるやぶ温泉がある。同温泉は、龍馬が脱藩する前年の文久元年(1861)に開かれたという。現在の本館は、大正期に建てられた、欄干つきの木造3階建てで、山あいにひときわ目を引く。

小藪温泉

 

【コラム】進化する脱藩の道イベント

坂本龍馬は住んでいた高知(高知市)から山口県の下関に行こうとした。脱藩のルート周辺にあたる高知の梼原町や津野町のほか、愛媛の大洲市、西予市などの各地で、「脱藩の道」にまつわるイベントが行われている。
このうち大洲市河辺地区では、毎年、「河辺坂本龍馬脱藩の道保存会」が、ウォーキングイベント「わらじで歩こう龍馬脱藩の道」を開催し、15kmと17kmの2コースに約300名が挑むイベントとなっている。
最近ではランニング人気もあり、脱藩の道を踏破するマラソン大会やトレイルランも開催されるようになっている。まさに、脱藩の道イベントは進化し続けている。

トレイルラン 写真提供「河辺ふるさとの宿」

トレイルラン 写真提供「河辺ふるさとの宿」

 

肱川中流域

大洲地区

肱川がゆったりとした流れに変わる中流域には、川船から龍馬も見たであろう大洲城が姿を見せる。現在の大洲城の天守は、明治期の古写真や天守雛形等の資料をもとに、市民の力で平成16年(2004)に4層4階の姿に復元されたものである。

大洲城

また、龍が住んでいると信じられていたりゅうのふちの上方には臥龍山荘がある。同山荘は明治期に4年の歳月をかけて完成したびとさびの世界を色濃く醸し出す数寄屋造りの名建築物である。平成23年(2011)には「ミシュラン・グリーン・ジャポン」の一つ星を獲得した。同山荘は臥龍院、ろうあんあんほうらいさん(ほうらいさん)から構成され、このうち不老庵は、京都清水寺の建築工法と同じ、傾斜が急な崖などに建築する伝統技法のづくり工法が用いられている。

臥龍淵と臥龍山荘 不老庵

臥龍山荘からほど近くにも、懸け造り工法で建てられたすくなひこ神社の参籠殿さんろうでんがある。この建物は老朽化がひどく、維持が危ぶまれていたが、昨年ワールド・モニュメント財団の「文化遺産ウォッチ」に登録されたことで修復事業への助成も増え、今年3月に落成式を終えた。参道裏手の道を上ると、突如目の前に、柱に支えられた参籠殿が現れる。まさに空中の楼閣である。

少彦名神社 参籠殿

ワールド・モニュメント財団(WMF)

 

肱川下流域

長浜地区

龍馬脱藩の伊予路の最後が長浜である。肱川を下った龍馬達は江湖えご港(大洲市長浜地区)で船を降り、長州に出航する前夜、豪商・冨屋金兵衛邸に泊まったとされる。冨屋金兵衛は代々紺屋を業としていて、勤王の志士を物心両面で助けた人物であったようだ。今はその屋敷は残っていないものの、跡地に石碑が建てられている。

冨屋金兵衛邸跡

長浜は回漕業が盛んで港町として栄えてきた。まちなかには「百帖ひゃくじょうはま屋敷やしき」と呼ばれている、明治中期に海運と塩・肥料を扱い財を成した、豪商・末永家邸宅があり、往時を偲ばせる。

百帖浜屋敷(末永家邸宅)

肱川河口には、現役で動く道路可動橋としては、国内最古の長浜大橋(赤橋)があり、冬の「肱川あらし」が始まると赤橋は霧で白く包み隠されてしまう。

赤橋と呼ばれる長浜大橋

 

おわりに

歴史や伝統文化に深く根差した観光地を巡る時、ややもするとその背景の歴史や文化をよくわからないままに旅を終えてしまいがちである。より深く知るために、案内人との探訪をぜひお勧めしたい。
大洲では市役所近くの「大洲まちの駅あさもや」に「歳時記探訪案内人」が常駐しており、町並み散策の案内(有料)や大洲の楽しみ方の相談に乗ってくれる。案内人の話に耳を傾け、時空を超える旅を味わってみてはいかがだろうか。

「大洲まちの駅あさもや」

(黒田 明良)

ページTOPへ
Copyright©IYOGIN REGIONAL ECONOMY RESEARCH CENTER,INC.ALL Right Reserved.