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西日本レポート

【岡山・広島・香川・愛媛】国内唯一、海をわたる病院「済生丸」

2013.04.01 西日本レポート

国内唯一、海をわたる病院「済生丸」

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1962(昭和37)年12月の就航から半世紀にわたり、瀬戸内海の島々を中心とした医療に恵まれない人々に医療を提供し続けてきた船がある。その名は「済生丸さいせいまる」。
今回は、社会福祉法人恩賜財団済生会(以下、済生会)が運営する国内唯一の診療船「済生丸」を紹介する。

済生会の成り立ち

済生会は、1911(明治44)年、明治天皇が時の内閣総理大臣桂太郎に「医療を受けることができなくて困っている人達に施薬救療の途を講ずるように」という趣旨の「済生勅語」と、その基金として御手元金150万円を下賜され、これをもとに設立された。ちなみに、当時は公務員の初任給が55円という時代である。
1952(昭和27)年には社会福祉法人となり、現在は40都道府県で病院、介護老人保健施設、老人・児童福祉施設、訪問看護ステーションなどを運営し、職員数は約5万人を有している。

済生丸

済生丸は済生会創立50周年の記念事業として建造されたが、済生丸が就航した1962(昭和37)年は、東京オリンピックの開催を翌々年に控え、日本経済が急速に成長していた時期である。この頃、発展する都市部とは対照的に、島しょ部や陸の孤島と呼ばれた地域には診療所が少なく、十分な医療を受けられないところが多かった。済生丸は、そうした地域のうち瀬戸内海の島しょ部などを対象に活動を行うため建造された。
当初は診療(診察と治療)が主であったが、診療回数に制約があることなどから、病気にならないよう予防することを重視し、徐々に検診を主体とした活動に移行していった。
現在は1990(平成2)年に就航した済生丸三世号(166トン、全長33m)が岡山、広島、香川、愛媛の64島1地区(93ヵ所)を、各県の済生会病院の医師や看護師、臨床検査技師等を乗せて定期的に巡回し、年間延べ1万人余りの人々の健康を守っている。私が同行させていただいた野忽那島のぐつなじまでの診療・検診では、医師、診療放射線技師、臨床検査技師、看護師、事務員に加えて研修医の計6名で診療・検診に当たっていた。済生丸は、研修医や看護学生がへき地医療を体験し、その意味を考える場にもなっている。
船内には、診察室やX線撮影室などの診療・検診に使うスペースはもちろんのこと、船に常駐する5名の船員が生活する部屋も備えられている。また、吃きっ水すい(水面から船底までの深さ)が2mしかないことも済生丸の特徴の1つで、このことが水深の浅い、小さな港への接岸を可能にしている。
50年間の延べ受診人数は約54万人(2012年3月31日現在)、航海距離は、地球18周分に相当する約74万㎞(同)に上る。島の人に話を伺うと、「本当に有難い。感謝している」とのことであった。済生丸の検診でガンが見つかり、命拾いしたという人も少なくないそうだ。

合同診療・検診

済生丸の歩みをたどるうえで欠かすことができないのが、佐田岬半島や宇和海島しょ部を、岡山、広島、香川、愛媛の4県済生会の医療スタッフが合同で巡回した「合同診療・検診」である。
済生丸による巡回診療が始まった当時、愛媛県済生会は各病院の規模が小さく、派遣できる医療スタッフや診療科目に制約があったため、単独巡回できるところは自ずと限られていた。そこで、岡山県済生会の提唱の下、岡山県済生会が主力メンバーを派遣する形で、4県済生会合同での巡回診療が始まった。

(1)佐田岬半島での合同診療・検診

佐田岬半島での合同診療・検診は1964(昭和39)年から1967(昭和42)年までの間、12ヵ所で延べ26回実施された。当時の佐田岬半島は陸の孤島と言われ、医療施設はあったものの、場所によっては山坂を越えて片道2時間以上かかったり、貧困のため

医療費負担が困難であったりして、治療を受けることのできない人が多かった。
済生丸は、海路でこうした人達の近くまで行くことができた。診療は、小学校や、漁協・農協の倉庫などで行われたが、遠く離れた高台まで荷物を担いで坂道を登ったり、蚊に刺されながら仮設診療所の板の間に毛布を敷いて寝たりと、大変な苦労があったようだ。

仮設診療所までの坂道を進む(佐田岬半島)

仮設診療所までの坂道を進む(佐田岬半島)

(2)宇和海島しょ部での合同診療・検診

1968(昭和43)年からは、宇和海に浮かぶ戸島とじま嘉島かしま日振島ひぶりじまからの熱望に応えて診療を始めた。1970(昭和45)年からは竹ヶ島たけがしま、1993(平成5)年からは大島を加え、現在まで続いている。なお、1986(昭和61)年8月からは愛媛だけで医療スタッフを確保できるようになり、愛媛県済生会の単独事業となったが、今なお、「合同診療・検診」と呼ばれている。

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今回の取材で、瀬戸内海巡回診療事業推進事務所が置かれている岡山県済生会の岩本一寿支部業務担当理事にも話を伺った。合同診療・検診は岡山県済生会が主体となって行われ、同氏も昭和40年代に毎年、宇和海に行っていたそうだ。
当時は、診療が終わっても船は宇和島市本土には戻らず、島の人にふとんを借りたり、風呂を使わせてもらったりして、公民館や保育所

、学校などに泊まったそうだ。水道がなく雨水を使っている島が多かったため、島の人への配慮から、「風呂で使う湯は、たらい1杯まで」と厳命されていたと言う。医療スタッフは厳しい環境にありながら懸命に業務を全うし、一方、島の人も島を挙げて済生丸による無料診療を支えていたのである。
宇和海合同診療・検診は、昨年で45年目となり、すっかり島に根を下ろしている。昨年は5月と7月の2回行われ、5月は医療スタッフ22名が5月15日から4日間の日程で、胃検診、血液検査、婦人科検診、泌尿器科検診、検便、胸部検診を行い、7月は医療スタッフ38名が7月10日から3日間の日程で、内科、小児科、整形外科、外科、眼科の診療・検診を行った。

宇和海合同診療・検診の様子(1986年6月)

宇和海合同診療・検診の様子(1986年6月)

医療スタッフは、愛媛県済生会の松山病院、今治病院、今治第二病院、西条病院のほか、県内の済生会病院に診療科がない産婦人科については愛媛大学、また、泌尿器科については岡山済生会総合病院の医師を招き編成されている。
市役所職員が受付をしたり、離れた集落に住んでいる 人をボートで送迎したりと、行政とも連携し、昨年は延べ1,755名を診療・検診した。

阪神・淡路大震災救援活動

1995(平成7)年に発生した阪神・淡路大震災の際には、済生丸は愛媛での巡回診療の予定を急きょ変更して岡山に回航し、岡山済生会総合病院が用意した緊急援助物資と診療要員を乗せて神戸へ向かった。当初は陸路が寸断されていたため、済生丸が援助物資を積んで岡山と神戸の間をピストン運航した。やがて、陸路が開通すると、済生丸は宿泊拠点として神戸新港に停泊し、4県の済生会のみならず西日本各地の済生会の医師や看護師等が、船と現地の仮設診療所を行き来し、1ヵ月半にわたり支援・救援活動に貢献した。
なお、済生丸は愛媛県原子力防災訓練にも参加している。今後も、平時には島々を巡回し、大災害などの非常時には、救援物資の運搬や移動医療基地として災害救助船の役割を担うことが期待されている。

済生丸事業継続への強い使命感

済生丸の運営には、船員給料、燃料費、修繕費など船の運航費だけでも年間約6千万円を要し、それに医療スタッフの人件費や診療材料費などを合わせると合計約1億2千万円の経費が必要である。一方、収入は、診療収入約1千万円と、国と4県から約5千万円の支援はあるものの、診療・検診の大部分を無料で行っているため、4県の済生会が約6千万円を負担している。 2010(平成22)年に、今後の済生丸事業のあり方が済生会本部で検討された。検討の中では、瀬戸内海の多くの島々に橋が架かったことなどから、島の医療事情は改善されているという見方もあったようだが、現場で診療・検診活動をしている4県の済生会の思いはそれとは異なっていた。現場には、「架橋されていない島の方が多く、依然として医療に恵まれない人々がいる。また、架橋によって航路が廃止され、車を運転できない高齢者にとってはかえって不便になっているという現実もある。不採算であっても、それらの人々を見捨てるわけにはいかない」という強い使命感があった。
その結果、本部直轄事業であった済生丸事業は、2011(平成23)年度からは現場の事情に通じた4県の済生会が共同運営事業として実施することとなった。

新船建造

済生丸は1962(昭和37)年の済生丸一世号の就航以来、2回更新されている。現在は1990(平成2)年に就航した済生丸三世号が巡回しているものの、老朽化により更新時期を迎えたため、新船の建造計画が進んでいる。
新船建造には、本体建造と医療機器等の整備費用に合計6億6千万円の資金が必要である。資金は、国が交付する地域医療再生臨時特例交付金を原資とした各県の地域医療再生基金から2億7千万円拠出し、4県の済生会が3億9千万円を負担し賄う。
新しい済生丸は、車椅子で移動ができるエレベーターを装備し、船内はバリアフリーとなる。また、デジタルX線撮影装置やマンモグラフィ、生化学分析装置といったこれまでになかった医療機器も搭載され、来年1月に就航する予定である。新しい済生丸はこの事業に関わるすべての人々の熱い思いを引き継ぎ、今後も医療に恵まれない地域に住む人々の健康を支えていくことだろう。

(越智 隆行)

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