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愛媛の登録有形文化財

宇和島市立歴史資料館(旧宇和島警察署)

2010.07.01 愛媛の登録有形文化財

「愛媛の登録有形文化財」の第3回目は、近代に建てられた本格的な洋風公共建築である、宇和島市の「宇和島市立歴史資料館(旧宇和島警察署)」と大洲市の「大洲市役所長浜支所(旧長浜町庁舎)」を紹介する。

「宇和島市立歴史資料館」は、市街地北西部の住吉山登り口前にある、樺崎砲台跡地そばに建つ。平成4(1992)年、建物の保存を目的にこの場所へ移築され、現在は館内で高畠華宵の作品を展示するほか、市民向け歴史文化講座“そこどこや”を実施するなど、広く親しまれる施設となっている。ちなみに、県内では大正ロマン館(東温市)と当資料館でしか高畠華宵の作品を見られないとのこと。見逃してはもったいない。
 この建物の竣工は明治17(1884)年、当時の宇和島警察署として同市広小路に建てられた。木造2階建てで、擬洋風建築に分類される。外観でまず目を引くのは、2階部分にバルコニーを有する正面玄関である。洋風建築によく見られるペディメント(三角形の切妻部分)や、玄関ポーチ上部のアーチ状デザインなど、建物を美しく見せたいとのこだわりが細部にまで感じられる造りとなっている。
 明治初期の擬洋風建築は、小屋組に丸太の原木を利用したものが多かった。しかしこの建物は、細い角材を三角形に組み合わせることで強度をもたせる洋小屋組(トラス)とし、「蕪束かぶらづか」を巧みに用いている。当時としては画期的な工法で、明治に入ってわずか20年足らずの間に高度な洋風建築の技術を習得していたことがうかがえる。ちなみに現存する擬洋風建築で蕪束を採用しているのは、札幌の時計台など全国に約30施設しかないそうだ。

“擬洋風建築”とは?

擬洋風建築の特徴は、外観に洋風デザインを採り入れながらも、小屋組こやぐみ(軒から上の屋根部分の構造)などの基礎構造は日本古来の建築技法を用いている点にある。明治初期、本格的な洋風建築の構造や様式を学んでいない大工・棟梁たちが、見様見真似で洋風を模して造ったとされる。
 文明開化の象徴として、現存するものでは開智学校(長野県松本市)が知られている。県内には姉妹館の開明学校(西予市宇和町)があり、西日本最古の擬洋風校舎建築として国の重要文化財に指定されている。

画像:小屋組に残る「蕪束」

小屋組に残る「蕪束」

このような歴史的価値の高さに加え、2度の危機をくぐり抜けて現存する、建物の生命力の高さにも注目したい。最初の危機は、旧宇和島市内の大半が消失したとされる戦災である。このとき焼夷弾の直撃を受けたが、奇跡的にも不発に終わり、何とか戦禍を免れている。その後、昭和27(1952)年に、当時の西海町(現愛南町西海地区)が町制発足の記念事業として建物を買い取り、同町役場として移築。警察署から庁舎に役割を変え、第2の人生を歩み始めた。
 しかし、平成の世になって2度目の危機がやってくる。竣工から100年以上経ち、建物の老朽化もかなり進んでいたため、庁舎の新築に合わせて取り壊されることになったのである。ただ、市内はもちろん、県内外からも「保存すべき」との声が数多く寄せられ、最終的には、平成4(1992)年に現在の場所へ再び移築された。

画像:宇和島警察署で使われていた礎石

宇和島警察署で使われていた礎石

国内でも珍しい2度の移築と用途の変更を可能にしたのは、木造建築の優れた柔軟性にある。建物の原型を保ちながら今も活用されている好例として、県内における登録有形文化財第1号となった。今はおだやかな第3の人生を送っているようだ。

(河野 静香)

犬伏武彦EYE

明治維新を経てまだ17年のことである。時代が変わったとはいえ侍屋敷がそのままに、町の姿も江戸のままであったことだろう。そんな時、建築された洋館建の警察署…人々の驚きがどんなものであったか? 建築された当時を思い起こさせてくれる新聞記事があった。「…四国第一の大建築といわれ近郷近在の人々は弁当持参に及んでわざわざ城下町へ見物に来たという…」建築から50年経った昭和10年1月7日、南豫時事新聞の一面に載せられた記事である。

(松山東雲短期大学 生活科学科生活デザイン専攻 特任教授)

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