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西日本レポート

【大分県豊後高田市】観光地化はゴールじゃない! - 昭和の町(大分県豊後高田市)にみるユニークな商店街活性化 -

2004.07.01 西日本レポート

観光地化はゴールじゃない! - 昭和の町(大分県豊後高田市)にみるユニークな商店街活性化 -

大分県といえば、温泉、歴史文化遺産、自然景観、テーマパークなど、あらゆるタイプの観光資源が思い浮かぶ。その観光立県・大分にあって、最近、ある商店街が観光スポットとして人気を集めている。  「昭和」という切り口で商店街ににぎわいを取り戻した、大分県豊後高田市の取り組みを紹介したい。

商店街活性化の経緯

歴史再発見から生まれたコンセプト

国東半島の付け根、大分市から車で1時間半ほどのところに位置する豊後高田市は、面積124.57km2、人口1万8千人余りと、愛媛県でいうと旧宇和町(現西予市)と同規模の、小さな「市」。古くは熊野磨崖仏や国宝富貴寺などに代表される仏教文化が花開いた地域であり、その中心市街地は江戸時代以降、国東半島随一の商業都市として栄えた歴史をもつ。しかし近年では交通事情の変化、郊外への大型店出店、商店主の高齢化などで、典型的な衰退パターンに陥っていた。
このままでは商店街に未来はない、との危機感から1992年に「豊後高田市商業活性化構想」が策定され、活性化に向けての取り組みがスタートしたが、莫大な費用を要するハード重視の計画だったため、やがてお蔵入りに。その後、地元商業者、商工会議所、行政の三者で検討を重ねる中で、豊後高田市が国東半島髄一の「お街(まち)」としてにぎわっていた昭和30年代の商店街の姿を取り戻そう、というコンセプトが浮かび上がった。

行政の後押しで一気に実現へ

構想が固まってからは行政側の対応も早かった。2001年度に大分県の補助事業である「大分県地域商業魅力アップ総合支援事業(街並み景観統一整備事業)」を導入すると、半年後には計画に賛同する10店が店舗改修を終え、2001年9月に「昭和の町」としてオープンした。
100店舗ほどある商店街のうち、当時営業していたのが60店舗ほどであり、その中の10店舗というのは少々寂しい数である。しかし、あえてオープン当初から広告宣伝に力を入れ、旅行会社に働きかけて、福岡市などからのバスツアーの誘致を積極的に行った。「死にかけた商店街をよみがえらせるには、外からの刺激で喝を入れる必要があった」と語るのは、豊後高田商工会議所で“昭和の町”運営協議会の事務局を担う金谷俊樹氏。店が変わることで人が集まる、それを実感することにより、当初は関心の薄かった店舗の中からも、徐々にこの事業への賛同者が現れる、という公算があった。

中核施設の誘致に成功

さらに、翌02年10月には「昭和ロマン蔵・駄菓子屋の夢博物館」がオープン。これは、古い倉庫を再利用して、日本有数のオモチャコレクター小宮裕宣氏のコレクション約5万点を展示した施設で、懐かしいおもちゃや古い雑誌、映画のポスターなどが所狭しと並んでいる。豊後高田への誘致活動に対して、最初は乗り気でなかった小宮氏だが、地元の人たちの熱意にほだされついにはご自身までもが福岡市から移住してしまった、という。
この施設の誕生で、「昭和」というコンセプトがより明確になり、観光客へのアピール度が格段に高まった。

さらに広がる「昭和」

「“昭和”で人が呼べる」という実感が、既存店からの新たな参画を促した。さらに約40店あった空き店舗へも外部からの新規出店が10店強あり、現在30店近くが「昭和の店」として営業している。今後も年10店程度のペースで改修を進め、10年後には商店街全てが昭和で統一されることを目指しており、オープン時は点であった「昭和」が線になり、面へと広がりつつある。

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再生の4つのキーワード

「昭和の町」の再生は、4つの側面をもっている。それをキーワードにまとめると、以下のようになる。

①昭和の“建築”再生

そもそも商店街活性化の軸を「昭和」としたのは、町の歴史をひも解く中で商店街の建物の70%以上が昭和30年代以前に建てられたものであることがわかったため。よって、建築再生は比較的容易であった。軒先を覆い隠すパラペット(看板建築)を取り除き木製やブリキ製の看板を取り付け、アルミサッシの扉を木製の扉に替えるといった工事で、昭和の趣のある店がよみがえった。ちなみに工事費は一店あたり100~300万円程度。そのうち約3分の2は県と市の補助金で賄われるため、店の自己負担は30万円から多いところでも100万円程度に抑えられたという。

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②昭和の“歴史”再生

「一店一宝運動」と銘打って、各店に代々伝わる「お宝」を展示した。明治・大正時代から続く老舗も多く、薬局では調剤用の秤、呉服店では着物の配達に使われた呉服車など、その店の歴史を感じさせる品々が店先に飾られており、往時をしのばせる。

③昭和の“商品”再生

懐かしいアイスキャンデーや揚げたてのコロッケなど、何十年も前からこの町で愛され続けている味を味わいながらのそぞろ歩きも、また楽しい。各店が自慢の商品を掲げる「一店一品運動」が展開され、ここでしか買えない商品が、町を楽しむ要素のひとつとなっている。二品め、三品めの開発にも期待がかかるところである。

④昭和の“商人”再生

商品自体の魅力はもちろんだが、それを売る人の魅力が、さらに大きな力となる。売り手と買い手が気さくに声をかけ合う、活気ある時代の「あきんど」の姿に立ち戻ろうとしている。あきんどたちとのふれあいが来店客に新鮮な感動を与え、店にとっては顧客ニーズの把握などにもつながるだろう。

ここ数年、「昭和」を謳ったフードテーマパークなどの集客施設が、相次いで作られている。しかし、ここには「作られた昭和」ではなく、「生きた昭和」(生き残ったというべきか?)、がある。そして単に建物の改修による町並の再生にとどまらず、当時のにぎわいや人情、空気といったものをよみがえらせるための工夫があるのだ。

ハードの未熟さを補うソフト

そして、この町を血の通ったものにしている大きな要素が「ご案内人」の存在である。オープン当初のハード面の不充分さをソフトで補おうと、ボランティアガイドが店の歴史やお宝の由来などを解説してくれる制度が設けられた。
もんぺ姿の“昭和の乙女”が、軽妙な語り口で店の歴史や店主の人となりなどを紹介してくれる。「ここの人気商品は・・・」と、さりげなく織り交ぜられるセールストークに、ついつい財布の紐を緩める観光客も多いに違いない。初めて来た町なのに懐かしいような不思議な気持ちになり、自然と店主たちとの会話もはずむ。
お金を渡して商品を受け取るだけの買い物、地元の人と話す機会さえない旅行、そういったものに慣れてしまった人たちが、この町を新鮮に感じるのかもしれない。

これからが本当のスタート

平日でも大型バスが次々と訪れ、観光客の数は年間20万人を上回るようになったが、先の金谷氏は「中心市街地活性化事業はまだスタート地点にも立っていない」「観光客に単価100円200円の商品がいくつ売れた、ということで満足していては駄目。これからが、本当の意味での投資をしていく時期」という。観光バスを誘致し交流人口を増やすことは、町に元気を取り戻すための一種のカンフル剤に過ぎないのだ。なぜならば、この事業の究極の目標は観光地づくりではなく、地域住民が買い物をしてくれる商店街の姿を取り戻すこと、さらには、町の魅力を高めることによって定住人口を増やすことにあるからだ。

観光地化の功と罪~次なるステップへ

予想以上の反響に、新たな問題も生まれている。観光客の増加で売上を伸ばした店がある一方で、「商店街は観光客の方を向いている」と、従来商店街で買い物をしていた地元客の足が、逆に遠のくケースもみられるという。以前なら車を店先に止めて買い物できたのが、今や車は観光客を避けながら通るのがやっとだ。
また、増加する観光客を目当てに、町のコンセプトとはかかわりの無い店が新たに出店し始めている。こういった店に商店街としてどう対処していくべきなのか、現時点ではまだ意見の集約を見ていない。さらにいえば、「昭和の町」の事業そのものに対しても、既存店舗の全てが賛同しているわけではないのが現状だ。そのような中で、商店街を一つの経営体としてとらえ、新規出店する店の業態や外観をマネジメントするシステムを作ることができるのか、作るとすれば、どういう形がベストなのか。検討は緒についたばかりだ。
商業地としての顔と、観光地としての顔を有機的に結合させ、矛盾の無い形で発展させていくことができるのか、それが今後避けて通れない大きな課題となっている。
「ブランドものに身を固めた都会の観光客と、割烹着姿の地元のおばちゃんがすれ違って違和感のない町」。金谷氏は、この町が目指す姿をそう表現した。もしかすると、そのブランドファッションの観光客は、数年後この町で割烹着のおばちゃんになっているのかもしれない。

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