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知る人ぞ知る愛媛の観光地

日常を忘れ悠久の時を感じる滑床(なめとこ)渓谷と河後森(かごもり)城

2018.06.30 知る人ぞ知る愛媛の観光地

日常を忘れ悠久の時を感じる滑床(なめとこ)渓谷と河後森(かごもり)城

日常を忘れ悠久の時を感じる滑床(なめとこ)渓谷と河後森(かごもり)城

 高知県との県境にある山間のまち松野町。町土の84%が森林という自然豊かなまちだ。今回は、悠久の時を経て今に残る、南予随一の山岳観光地「滑床なめとこ渓谷」と県内最大級の中世の山城「河後森かごもり城」をご紹介する。

滑床渓谷とは

 滑床渓谷は、南予の名山の1つである鬼ヶ城山(標高1,151m)に源を発する目黒川がうがつ、全長約12㎞の渓谷である。1972年に『足摺宇和海国立公園』に指定された。
 滑床渓谷はほぼ全域が花崗岩かこうがんからなり、浸食でできた一枚岩の巨岩やなめらかな岩肌の河床かしょうが随所にみられる。この滑らかな河床“ナメリ床”が滑床の地名の由来だと言われている。

滑床渓谷の見どころ

①万年荘

 渓谷探勝は、万年荘から始まる。この建物は1957年に松野町営のユースホステルとして建設されたが、現在は宿泊所としての役目を終え、「滑床アウトドアセンター」になっている。ここでは無料で休憩ができるほか、軽食の提供や滑床渓谷の案内を行っている。

②万年橋

 万年荘の入り口には、「萬年橋」と彫刻された大きな石碑がある。天保11年(1840年)、宇和島藩の商人の有志が資金を出し合って、宇和島から西土佐の目黒を結ぶ交易の道を完成させた。この石碑はそれを記念して建てられたものだ。
 万年荘脇にある岩盤には、橋の建設にまつわる話や、当時の町奉行、山奉行、万年橋建設に寄進した商人などの名前が刻まれている。

③鳥居岩

鳥居岩

鳥居岩

 万年橋から遊歩道を進んで最初に見える三筋の滝。そのすぐ上流に鳥居岩がある。巨岩が2つに割れ、その上に岩が重なり、その岩の上から木が生えているなんとも不思議な岩で、江戸時代には、すでにその名がついていたと言う。
 鳥居岩の奥にはほこらがあり、4月下旬に山開きの神事が行われる。滑床が誇るパワースポットで、ここで2つの頭を持った龍神様を見た人もいるとか… !?


出合滑であいなめ

出合滑

出合滑

 本流と霧ガ滝沢が出合うことから名づけられた「出合滑」。河床は200メートルの一枚岩でできており、夏は川遊びをする人たちでにぎわう。「えひめいやしの南予博2016」のポスターはここで撮影されたそうだ。
 普段は静かな流れだが、雨上がりには一変。息をのむほどの激流となる。

 

⑤雪輪の滝

雪輪の滝

雪輪の滝

 1990年に日本の滝百選に選ばれた「雪輪の滝」。滑床を代表する景勝地だ。
 一枚岩の急斜面を、水流が雪の輪のような白い波紋を描きながら流れ落ちる。遊歩道から見えるのは滝のごく一部で、全長は300メートルにも及ぶ。
 夏場はこの天然ウォータースライダーでキャニオニングを楽しめる。

 

 

 

 

悠久の時間が育む滑床渓谷

 私たちが見ている滑床渓谷の姿は、100年以上前、西土佐との道をつないだ江戸時代の人々が見ていた姿とほとんど変わっていないと推測される。滑床渓谷を育んだ悠久の時の流れのなかでは、普段は慌ただしく過ぎてゆく時間が、ゆっくりと流れているように感じる。

森の国ネイチャーガイドツアー

ガイドの久保田さん

 滑床渓谷をより深く楽しむためにおススメなのが、森の国ネイチャーガイドツアーだ。渓谷の景色を眺めて歩くだけなら往復1時間半程度の道のりを、ツアーでは3時間かけて歩く。木の実を採って食べてみたり、アリジゴクをつついてみたり…普段なら気に留めない小さなことにひとつひとつ触れ、そこにある自然を確かめながら進む。終わった後は疲労感よりも、“滑床を体感した”という充実感が大きい。

 ガイドの久保田慶蔵さんにおススメのシーズンをたずねると、「その質問が一番難しい」と言う。景色は日によっても時間によっても違い、その日、そのときにしか味わえないものがある。だから、いつが良いというよりは、いつも良いのだそうだ。
 ネイチャーガイドツアー最後のお楽しみは、森の国ホテルでのティータイム。シェフが腕によりをかけて作ったケーキは見るも美しく味も最高だ。コーヒーは山から湧き出た天然水で淹れた雑味のないスッキリとした味わいで、ケーキによく合う。
 森の国ホテルの素敵なラウンジでおいしいケーキを味わいながら、ツアーの感想を語り合っていただきたい。

【森の国ネイチャーガイドツアー】

所要時間:約3時間
ツアー代金:1名様 3,000円(保険・ティータイム代金含む)
お問い合わせ・お申し込み:森の国ホテル(Tel 0895-43-0331

山城「河後森城」

山城「河後森城」 「城」と聞いてどのような城を思い浮かべるだろうか。高い石垣、幅広い水堀、白壁の天守…?実は、私たちがイメージする「城」は、江戸時代以降に造られたもので、数もわずかしかない。日本に存在していた城の多くは、文字通り「土から成る」山城で、多くは14世紀(南北朝時代)から17世紀初頭(戦国時代)までに造られた。
 山城は、一般的にイメージする「城」とは造りが基本的に異なる。城の防御施設は、土塁どるいや堀など(後述の「山城」基礎用語参照)土を盛ったり掘ったりしたもので、建造物は小屋や柵程度のものだった。そのため、一般的にイメージする「城跡」を想像して山城を訪れると、「山しかない!」と思うかもしれない。しかし、そこに眠る数々の遺構や遺物は、戦乱の世に、いかにして攻防を繰り広げたかを物語っている。
 町の中心部を流れる四万十川の支流広見川、この広見川の支流である堀切川、鰯川に囲まれた、自然の地形を巧みに利用して造られた「河後森城」は、鎌倉時代に造られたと言われる県下最大の山城だ。
 2017年には公益財団法人日本城郭協会が選ぶ「続日本100名城」に選ばれ、観光客もじわりと増えている。

「山城」基礎用語

本郭ほんかく城主の居所や、城の中心となる最重要区画のこと。近世の城郭では「本丸」とも呼ばれる
曲輪くるわ山の稜線上や斜面を平らに整地した区画
土塁土を盛って壁を造り、敵の侵入を防ぐもの
切岸きりぎし曲輪の周囲を人工的に削って急傾斜とした崖
岩盤を掘りぬいて溝のようにした防御施設。尾根を断ち切るように造られた堀を「堀切ほりきり」、等高線に対して縦方向に掘られた堀を「竪堀たてぼり」という。

河後森城の歴史

 河後森城があった黒土郷河原渕くろつちごうかわらぶち領は、現在の松野町と鬼北町の一部を領地とし、天文後期から永禄期、天正期(1500年代後半ごろ)にかけて、土佐の一条氏、長宗我部氏との戦闘の舞台となった場所だ。
 河後森城の築城年代は明らかになっていないが、16世紀代には土佐の一条氏側から養子として迎えられた河原渕教忠かわはらぶちのりただという領主がいたことが分かっており、その後も、さまざまな領主が河後森城に居城した。1615年(元和元)、一国一城令によって廃城となったと考えられている。

河後森城散策

 河後森城の発掘調査は1987年から行われ、1997年には国の史跡として指定された。城域は20ヘクタールを超え、最も高い場所にある本郭ほんかくを中心に、多数の曲輪くるわがU字型に広がっている。
 河後森城駐車場から出発して、西第十曲輪を目指す。ここは本郭からみて、西側の端にあたる。復元された門を抜けると、広い平地となっており、そこには馬屋と推測される建物が復元されているほか、柱跡も複数みられる。また、曲輪の周囲には土塁や切岸きりぎしがあり、尾根筋の周りには堀切や竪堀等の防御施設があることから、ここが山城での戦いの最前線だったことがわかる。

 河後森城で最も高い位置にある本郭には、主殿舎と呼ばれる城主の居所と台所が見つかっている。
 西第十曲輪から本郭を目指す途中、少しだけ石垣が見られる。実は、河後森城の最終時期である1600年前後には、石垣を供えて天守が存在したと考えられており、これを示すように、現在の宇和島城へ天守を移築したという伝承も残っている。河後森城が時代に合わせて姿を変えながら、長きにわたり領地を見守ってきたことがうかがえる。

 本郭から東に下がったところにある古城には、番小屋ややぐらと考えられる建物があり、曲輪の端には板塀を使った防御施設も存在していた。ここで敵を迎え撃つ準備をしていたと考えられている。
 城の遺構だけでなく、河後森城の自然も楽しんでいただきたい。4月中旬には自生のツツジが咲き誇り、秋には美しい紅葉を見ることができる。

森の国山城学と森の国山城の会

小学生がまとめた調査結果

小学生がまとめた調査結果

 松野町では、小学校の総合的な学習の時間を使って、町内の小学生に「森の国山城学」という体験学習を行っている。河後森城跡には子どもたちが調査結果をまとめたパネルが掲示されている。
 また、河後森城の保存などには「森の国山城の会」が尽力されている。1996年に結成された民間団体で、河後森城に関する勉強会や環境整備などをボランティアで行っている。
 悠久の時を経て河後森城が今日までその歴史をつないできたのは、地元の方々の熱心な活動があってこそだろう。その活動がまた、河後森城の新たな歴史として刻まれていくに違いない。

 なんとなく、気持ちがスッキリしないときは、思い切って自然に身を任せてみてほしい。木々の青さ、頭上高く聞こえる鳥の声、花の甘い香り、口に含んだ木の実の苦み、踏みしめる落ち葉の柔らかさ…五感をフル活用しながら悠久の時を感じれば、忙しい日常からきっと解き放たれるだろう。

(川野 志子)
参考文献: かゆみ歴史編集部(2016)「完全保存版 日本の山城100名城」洋泉社

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