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西日本レポート

わずか3年間でシャッター通りが 生まれ変わった!

2017.01.31 西日本レポート

わずか3年間でシャッター通りが 生まれ変わった! ~宮崎県日南市・「油津商店街」再生のキセキ~

わずか3年間でシャッター通りが 生まれ変わった! ~宮崎県日南市・「油津商店街」再生のキセキ~

 3年前までシャッター通りだった商店街に、にぎわいが戻った。宮崎県日南市にある「油津商店街」は、昨年5月、経済産業省から「はばたく商店街30選」に認定されるなど大きな注目を集めている。若者たちが、衰退した商店街の再生にチャレンジし、まち全体に活気をもたらし、夢を与えていることが評価されたのだ。今回は、公募により登用された民間人を中心に繰り広げられた、「油津商店街」再生のキセキを紹介する。

かつての繁栄、そして衰退へ

 日南市。県庁所在地である宮崎市から車で1時間、県の南部に位置する、人口5万4千人の温暖なまちである。昨年、セ・リーグの覇者となった広島東洋カープのキャンプ地としても有名である。日南市も他の地方都市と同じように、人口減少・少子高齢化、若者の流出に悩み、中心市街地である「油津」のまちは年を追うごとに廃れていった。かつて、油津商店街は、木材の積出やマグロの水揚げなどで活況を呈した油津港と、交通の要衝であった油津駅を結ぶメインストリートとして繁栄していた。しかし、基幹産業の衰退とモーダルシフトといった時代の荒波に飲み込まれ、空き店舗と空き地が目立つシャッター通りとなっていた。

333人から選ばれた再生請負人

 日南市では、2012年度から開始された中心市街地活性化事業のなかで、商店街の再生を手掛けるテナントミックスサポートマネージャーを全国から公募することにした。4年間の任期で「商店街への20店舗の新規出店の実現」がミッション、「任期中は日南市へ定住すること」が条件であった。全国各地から333人もの応募があり、そのなかから選ばれたのが、木藤亮太きとうりょうた氏である。
 木藤氏は、まちの再生などを手掛ける福岡市のコンサルタント会社に勤務しており、日南市に全く縁はなかった。「その地域に定期的に訪問し、画一的な手法で報告書をまとめていくことが目的化している従来の手法に限界を感じていた」と木藤氏。「日南市への定住」という条件が「地に足をつけて活動ができるので逆にありがたかった」という。
 2013年度は日南市の体制が大きく変わった年でもあった。4月に九州最年少の﨑田恭平さきたきょうへい市長が誕生し、7月の木藤氏に続き8月にはマーケティング専門官として田鹿倫基たじかともき氏が登用され、全員が30歳代という若い陣容だった。木藤氏を全面的にバックアップした市の職員も30代。これらの心強い"伴走"が木藤氏の活動を後押しし、力と勇気を与えた。

まちの空気感が変わった

木藤氏が2013年7月に着任して、まず取り組んだことは「市民との対話」。いろいろな場所に足を運んで、まちの歴史、地域性などを知り、「なぜ商店街がこのような状況になってしまったのか」についてディスカッションを重ねた。地域の空気をしっかり吸って、まちの一員にならなければ真の現状は分からない。「よそ者は溶け込みにくいのではないか」と当初は不安があったというが、「疲弊したまちを何とかしたい」と考えていた多くの市民が積極的に背中を押してくれた。もともと、日南市には「頑張っている人を応援する」という応援文化があるという。
木藤氏の真摯な行動が共感を得たに違いない。
 着任1ヵ月後、市民との交流の場として、商店街の空き店舗にフリースペース「Yotten」をオープン。
これを機に老若男女の商店街の応援団が結成され、「夜市の復活」「商店街での親子運動会」「50メートルレーンのボウリング大会」などのアイデアを次々と実現させた。さらに、「商店街ファッションショー」「クリスマスライブ」などには多くの若者が集まり、「商店街で若い人が面白いことをしている」との空気感が生まれ、広く発信されていった。

「ABURATSU COFFEE」オープン

そして、2014年4月、1店舗目となる喫茶店「ABURATSU COFFEE」がオープンした。商店街の入口にある、市民の思い出が詰まった名喫茶店「麦藁帽子」をリノベーションした店舗だ。事業化に際して、「麦藁帽子の思い出を語る会」を開催、そのなかで出た市民からの意見や要望を取り入れ、当時の懐かしい雰囲気を味わえるように改装を実施したという。市民と一体となって取り組もうとした姿勢は大きな反響を呼び、商店街再生のシンボルとして大きな注目を集め、再生事業への理解が深まるきっかけとなった。

ABURATSU COFFEEの店内

株式会社油津応援団の設立

ABURATSU COFFEEを運営し、「自走できる商店街」の中核となるべくつくられたのが株式会社油津応援団である。行政からの出資を受けない純粋な民間会社として設立された。現在の出資者は約40名(大半が日南市民)にまでなり、10名以上の雇用を生み出している。行政からの補助金に頼り続ける旧来の手法から脱却し、地元の若い人材をまちづくりのプロとして育成していくことに力を入れており、油津商店街でのさまざまな取り組みを持続して進化させることのできる組織を目指している。
 ABURATSU COFFEEに続いて、その隣地の呉服店跡につくられた新感覚の豆腐店「二代目湯浅豆腐店」は、㈱油津応援団の若手3名がプロデュースを行っている。まちづくりを担う若い世代は、実戦の中で着実な成長を遂げている。

核施設・多世代交流モール

再生事業の核施設となる「多世代交流モール」がオープンしたのは、2015年11月のことである。このモールは、「ABURATSU GARDEN」「あぶらつ食堂」「油津Yotten」で構成されている。
 ABURATSU GARDENには、「スイーツ」「子ども服」「まつ毛エクステ」など個性的な6つのコンテナ店舗がアーケード沿いの空き地に並んでいる。いずれも、地元起業者のショップであり、熱いエネルギーを感じることができる場所となっている。
 あぶらつ食堂と油津Yottenは、長年空き店舗となっていたスーパーマーケット跡をリノベーションした、お洒落なつくりの施設だ。
 あぶらつ食堂は、「和食」「洋食」「鳥料理」など異なるジャンルの5店舗が集まる屋台村。ランチとディナーが楽しめる。
 広いテラスを挟んで隣り合わせにある空間が、交流スペースとして利用されている油津Yottenである。カルチャースクールや会議などで利用されるほか、パーティーやコンサートなどのイベント会場として、日南市民の新しい憩いの場となっている。また、油津Yottenには「油津カープ館」が設けられており、キャンプ地ならではのレアグッズが展示され、カープファンの聖地になっている。

ABURATSU GARDEN

カープのキャンプ地として

 2016年9月10日、広島東洋カープの25年ぶりのセ・リーグ制覇が東京ドームで決まった。その瞬間、油津商店街でも歓喜の声が沸き起こった。市長をはじめとした約600人の市民が集結し、油津Yottenの前でパブリックビューイングが開催されたのだ。
 カープと日南市との絆は太く、キャンプが開始されたのは50年以上も前のことである。商店街から歩いて数分、目と鼻の先にある天福球場でキャンプが行われ、選手たちは宿泊するホテルから球場まで商店街を通って行き来する。そのため、日南市民にとって、選手たちは身内のような存在だ。キャンプ時には、全国から5万人を超えるファンが日南市を訪れるが、シャッター通りだった商店街にはお金がほとんど落ちなかったという。商店街の再生が進み、油津カープ館やあぶらつ食堂などの魅力ある施設のオープン、「ランチマップ」の配布など誘客の仕掛けを実施し、通常は閑散期である2月、11月が一番の繁忙期となった。今年の春季キャンプまでに、球場と商店街を結ぶ道が「カープ一本道」として整備され、優勝記念パレードも開催される予定だ。若い力が躍動するカープと油津商店街は、共通点が多いと感じる。

油津Yottenのカープ館

IT企業が商店街に進出

2016年4月、東京のIT企業「PORT株式会社」が日南市にオフィスをオープンさせた。企業誘致を担当したのは、もう1人の民間人であり、マーケティング専門官の田鹿氏である。木藤氏が商店街再生を軸にした「内需」、田鹿氏が企業誘致などの「外需」と役割を分担し、連携しながら日南市の活性化に向けて取り組んできた。
 「若者の働く場所がない、特に事務職の雇用の場が少ない」という悩みは多くの地方が抱えているが、日南市も同様であった。IT企業に的を絞って誘致活動を実施、「日南市で若者が面白いことをしている」という空気感を積極的に発信。進出の決め手となったのは日南市のスピード感のある対応と熱意だ。「パソコンとインターネット環境があれば地方でも仕事はできる。スカイプやチャットなどで本社と打ち合わせも支障なくできる。日南市のフォローも申し分ない」と同社の担当者は語っている。同社の進出は地元の若者の希望となり、採用募集には300名以上の応募があったという。現在、15名が働いているが、Uターン者を含めて10名を地元出身者が占める。オフィスは、地元の若者が生き生きとチャレンジする姿に共感したことが決め手となり、商店街の空き店舗だったブティック跡を改装。商店街内の需要拡大と働く人々の利便性向上という好循環を生み出している。PORT株式会社に続き、現在5社(うち油津商店街に3社)のIT企業が進出し50名以上の新規雇用が創出され、今年度内には10社(うち油津商店街に7社)まで増加する予定だ。5年後には、300名程度の雇用が創出される見込みであり、日南市の新たな産業となるに違いない。商店街が、まさにITタウンとなる。また今年、働く女性の子育て支援のために、商店街内に小規模保育施設も開所予定である。

ブティックの空き店舗をリノベーションしたオフィス

ブティックの空き店舗をリノベーションしたオフィス

油津港はクルーズ船の寄港地

近年、地方にとってインバウンド消費をどう取り込むかが大きな課題となっている。2016年には、油津港に中国や台湾などから大型クルーズ船が22回寄港し、多い時で4,500人の外国人が降り立った。初寄港の時には、地元高校のブラスバンド部が演奏で出迎え、花火で送り出した。食事や買い物を楽しんでもらおうとスタッフ総出で商店街への誘客活動を
行うなど、日南市ならではの"おもてなし"の効果が着実にあらわれている。

商店街は人づくりの場所

あぶらつ食堂やABURATSU GARDENなどには、商店街の再生に積極的に取り組もうという高い意識を持つ若者たちが集まり出店を行った。そのほとんどがUターンを含めた日南市の出身者である。
㈱油津応援団のメンバーが、経営に関する悩みなどについて対話をしながら積極的にサポートしている。将来の日南市を担う経営者の育成を商店街という場所で行っているのだ。
 次世代の人づくりも商店街で行われている。3年前に復活した7月の土曜夜市には、地元の高校生が空き店舗に「お化け屋敷」を出店している。「ふるさとを大事にしたい」との気持ちを持たせたいという保護者からの強い要望で実現した取り組みだ。小学生たちが行列を作るほど大好評だという。また、「商店街の情報を発信する」ツイッターの管理、木
藤氏のドキュメンタリー作成なども高校生が手掛けており、商店街に積極的に関わっている。
 さらに、地域産業の活性化に関して全国の大学生を対象にビジネスコンテストを実施。カープキャンプ時の宿泊施設が不足している現状を踏まえた「ゲストハウス」がグランプリに輝き、学生ベンチャーとして事業化の予定だ。若い力が、商店街に活力を与え続けている。

高校生がお化け屋敷を空き店舗に出店

高校生がお化け屋敷を空き店舗に出店

 「これまでの商店街再生事業が成功しないのは、商店街のためという視点しかなかったからではないか。商店街を若く優れた人材を育む場、働く場、暮らす場として魅力を高めていくこと、今後のまちづくりを見据えた事業であると発信できたとき、多くの市民の共感を得ることができた」と木藤氏は語る。
 「次世代にどうやってまちをいい状態で継承していくか」「まちが行政に頼るだけでなく持続的に歩める仕組みをつくっていけるか」を今こそ真剣に考えなければならない。油津商店街の取り組みには、地方創生の大きなヒントがある。

二宮 秀介

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