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知る人ぞ知る愛媛の観光地

東温編 文人の足跡をたどる 水と渓谷と俳句のさと 河之内

2015.11.01 知る人ぞ知る愛媛の観光地

画像:東温町

東温市は、人口約34,000人・面積211.30km2で、2004年9月、重信町と川内町が合併して誕生した。市の中央に重信川が流れ、南は皿ケ嶺連峰を隔てて久万高原町、東は西日本最高峰の石鎚山系を望んで西条市と接し、水と緑が豊かな自然環境に恵まれている。また、西に接する県都松山市のベッドタウンとして発展しているほか、近年は、松山自動車道川内IC周辺への企業立地も進んでいる。
市街地から東へ車で20分、重信川の支流・表川に沿った谷あいに位置する旧うち村の河之内かわのうち地区は、美しい棚田や里山の風景が広がる集落である。「しらの滝」や「からかいの滝」といった名所が古くから有名だが、実は、知る人ぞ知る“俳句のさと”でもある。
1891(明治24)年8月、俳人・正岡子規は、親類の近藤家に宿泊して、両滝を観ばくした。また、1895 (明治28)年11月、当時、愛媛県尋常中学校(現:松山東高等学校)に赴任していた子規の友人・夏目漱石も、同様に観瀑してその情景を詠んだ。さらに、漱石の教え子で、宇和島出身の俳人・松根まつね東洋城とうようじょうは、1950(昭和25)年から1年3ヵ月の間、河之内の総鎮守・惣河内そうこうち神社の一角で弟子の指導にあたり、自らも多くの句を残している。
今回は、国道11号から同494号沿いの句碑をめぐり、渓谷と鎮守の森を歩いた文人らの足跡をたどりながら、東温市河之内周辺の魅力を紹介する。

 

鎌倉堂跡

松山自動車道がすぐ側を横切る国道11号沿いに、「鎌倉堂」と呼ばれる屋根付きの石碑がある。
昔、このあたりには3つの税があり、百姓は大変難儀をしていたが、ある時、鎌倉幕府5代執権・北条時頼がこの地を訪れた際、その税を免除した。これに感謝した百姓は、鎌倉堂と称した社を建てて時頼をまつり、後世に伝えたと言われている。
子規と漱石は、観瀑からの帰り道にそれぞれこの堂に立ち寄ったが、その後取り壊され、今は石碑と「時頼が腰を掛けて休んだ」と伝わる腰掛け石が残るだけである。
社殿の柱に書きつけたという子規の落書きと漱石の句から、当時の様子がうかがい知れる。

案山子もの言わば 猶さびしいぞ 秋の暮  西子(子規) 鎌倉堂 野分の中に 傾けり  漱石

鎌倉堂跡と時頼の腰掛け石(永野集会所内)

立ち寄りスポット[1] 4本の大楠(東谷小学校)

4本の大楠(東谷小学校)

国道494号に入ると間もなく右手に見えるのが、東谷ひがしたに小学校の校庭に並ぶ4本の大きな楠だ。三内第一尋常小学校として創立されてから100年以上もの間、子どもたちを見守り、地域の住民に親しまれている。
ここには、“平和のシンボル”と呼ばれる桜、「陽光」を開発した愛媛の知られざる偉人・高岡正明氏が教鞭をとっていた青年学校があった。高岡氏がモデルとなった映画『陽光桜-YOKO THE CHERRY BLOSSOM-』(2015年11月公開)では、この4本の大楠をはじめ、舞台である河之内の各所がロケ地となっている。

 

【コラム】「陽光桜」の生みの親 高岡正明氏

戦時中、青年学校の農業科教師であった高岡氏は、自ら戦地へ送り出した教え子の多くを失った。戦後、その自責に苦しみながら日々を過ごしていた高岡氏は、ある日、思い出の校庭に満開になっている桜を見て、各国の戦場で散った教え子の供養のために、どんな気候でも花を咲かせる新しい桜の開発を決意する。戦争の残酷さや悲しさ、命の尊さに対する思いを桜の花に込め、私財を投じて30年後に完成させた。
その後、高岡氏は国内外に無償で陽光桜を贈り続け、現在、世界中に約10万本が植樹されている。「二度と戦争を繰り返してはならない」という高岡氏の平和への願いは、今も人々に語り継がれている。

陽光桜

 

惣河内神社(一畳庵)と金毘羅寺

惣河内神社は、803(延暦22)年創立の河之内の総鎮守で、隣接する金毘羅寺と併せて、市内最大規模の鎮守の森をもつ。参道の入口にある御神木「ウラジロガシ」(県指定天然記念物)は、目通り6m・高さ11mという、県内でも数少ない老大樹だ。その枝が差し掛かる鳥居をくぐると、すぐ右手には東洋城の句碑が立つ。

 山屏風 春の炬燵に こもるかな  東洋城

ここには、神社近くにある松山藩の公儀雨乞い場「雨滝」に祀られている「雨滝三島神社」が合祀ごうしされている。今でも渇水時期になると、松山市の水道関係者が雨乞い祈願のため参拝に訪れるそうだ。
本殿の左には、東洋城ゆかりの「一畳庵」がある。東洋城は、松山中学で英語を学んで以来、漱石を師と仰いで生涯にわたって交流を持ち続けた、小説「三四郎」のモデルと言われる人物である。これが縁で子規とも知り合い、自ら創刊した俳誌『渋柿』を主宰しながら、弟子であった惣河内神社の当時の宮司・佐伯巨星塔(惟揚これあき)に迎えられ、社務所内の畳一帖ほどの座敷に滞在した。

惣河内神社、東洋城の句碑(鳥居横)、ウラジロガシ

一畳庵

前庭にある池の端には、東洋城の句碑と、その句に由来して命名された「百日桜」がある。東洋城は、10月中旬から翌春2月頃まで咲くこの冬桜を好み、一畳庵からよく見て楽しんだと言う。

春夏冬 冬を百日 桜かな  東洋城

百日桜、東洋城の句碑(一畳庵前)

また、1163年頃(長寛年間)創立された、神社隣にある金毘羅こんぴら寺の本堂前には、寺を名付けた加藤嘉 明が手植えしたと伝わる、大きな四本杉(市指定天然記念物)がそびえ立つ。またここは、秋の紅葉の隠れた名所でもある。

立ち寄りスポット[2] 雨滝とイスの木群生

松山藩の公儀雨乞い場である雨滝は表川にある小さな滝で、白猪・唐岬の滝水を集めて落下する滝壺がある。岩場の上に群生する「イスの木」(別名 ひょんの木・市指定天然記念物)のほか、シイ・カシ・モミジなどの木々に覆われていて、昼でも薄暗く、まさに祈りの場にふさわしい厳かな雰囲気が漂っている。
雨滝は、重信川下流となる松前の「おたたさん」(桶を頭に載せて魚の行商をする女性)が、往復約58km歩いて海水を運び、滝壺に流し込む雨乞いの儀式があったことで有名である。

雨滝

 

【コラム】美しい棚田でつくる「穂田琉ほたる米」

旧三内村(河之内・則之内・井内地区)は、美しい棚田が連なる「三内米」の産地として有名な米どころである。
雨滝から徒歩2分のところに、三内米ブランド「穂田琉米」の生産直売所「穂田琉ファーム雨滝の倉」がある。昨年11月、園主である坂本憲俊氏が育てた穂田琉米が、「都道府県代表お米選手権」で特別優秀賞を受賞した。
坂本氏は、「米づくりを通して、ふるさと河之内の美しい風景を守りたい」と、勤めていた東温市役所を早期退職。現在は米づくりに専念して、日本で最も美しくて美味しいお米の里の魅力を、地域内外で伝え続けている。
敷地内のギャラリー「ひょん」では、そんな坂本氏がカメラに収めた、美しい河之内の風景写真を見ることができる。
【穂田琉ファーム】
東温市河之内4950-1
TEL:089-966-4458

 

白猪の滝

白猪の滝は、白猪の滝農村公園から整備道を1kmほど登る、白猪峠のふもとにかかる落差96mの三段滝である。流れ落ちる姿は雄々しく、間近で見るとまさに迫力満点。四季折々に見どころがあるが、特に、厳寒時の凍りついた滝の水が、まるで氷の彫刻のような姿を見せる“氷瀑”は幻想的である。

子規と漱石の句碑(白猪の滝横)

子規と漱石の句碑(白猪の滝横)

白猪の滝

 

唐岬の滝

唐岬の滝は、白猪の滝からさらに黒森峠に向かって車で約15分、久万高原町との境に近い、割石峠の渓谷にかかる。滝音柔らかな、落差114mの七段滝で、その優美な姿から“女滝”とも呼ばれている。急な斜面の山道は足元が悪いため注意が必要だが、漱石が詠んだ紅葉のなかの景色は特に美しい。

 瀑五段 一段ごとの もみぢかな  漱石

漱石の句碑(唐岬の滝入口)

唐岬の滝

白猪の滝白猪の滝農村公園(無料駐車場)から約1km
(徒歩30分)・有料駐車場から徒歩15分
唐岬の滝 駐車場から500m(徒歩20分)

 

おわりに

少し険しく思える山道も、自分の足で歩き、時々立ち止まってゆっくり深呼吸をして、その土地の自然や歴史に触れてみると、これまで気づかずにいた新しい景色が見えてくるのが不思議である。ひっそりと佇む、つい通り過ぎてしまいそうな句碑をめぐると、新しい出会いや小さな発見があり、地域の知られざる魅力を身近に感じることができた。
季節によって異なる表情を見せてくれる東温市の、豊かな自然や地域の魅力を感じに、出かけてみてはいかがだろうか。

(渡邊 晶子)

参考文献
・「東温街道紀行」東温市
・「雨滝」「美しい棚田の風景」「白猪の滝」「唐岬の滝」は坂本憲俊氏撮影

調査月報「IRC Monthly」
2015年11月号 掲載

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