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愛媛の島

青島(大洲市)

2015.03.01 愛媛の島

タイトル

2013年1月号から始まった「愛媛の島」シリーズは、今回で最終回を迎える。シリーズの最後を飾るのは、大洲市長浜町の北方13.5kmに浮かぶ、周囲約4.2kmの小さな島 青島である。

 

島の歴史

江戸時代初期の青島は、「馬島」と呼ばれる無人島で、その名のとおり、大洲藩の馬の放牧地として利用されていた。
青島定住の歴史は、寛永16年(1639年)、播州ばんしゅう越村ごしむら(現 兵庫県赤穂市坂越)の漁師 与七郎(後に赤城九郎左衛門に改名)が、イワシの好漁場である当地に一族郎党16戸を引き連れて移り住んだことに始まる。翌 寛永17年(1640年)、鹿狩りに訪れた大洲藩主 加藤泰興が、木々が青々と茂る島の様子を見て、青島へと改名したと伝えられている。

 

漁業を中心に発展

豊かな漁場を有する青島は、イワシ網やタイ縛り網漁業を中心に発展し、最も多い年 昭和17年(1942年)には人口889人を有した。しかし、高度経済成長期に入ると、職を求めて若い世代を中心に島を離れる者が増え、昭和43年(1968年)に中学校が、昭和52年(1977年)には小学校が閉校となった。昭和60年(1985年) には人口が100人を割り込み、現在、島に住んでいるのはわずか17人、全員60歳を超えている。
島は急傾斜地が多く平坦地が少ないため、農業はあまり発展せず、産業の中心は現在も漁業である。特にヒジキ漁が盛んに行われており、青島の特産品となっている。

画像:青島

 

島民のライフライン 定期船「あおしま」

青島へは、長浜港から定期船「あおしま」に乗って約35分で到着する。定員34名の小さな船は、島民の足であるだけでなく、生活物資を運ぶ大事なライフラインでもある。

画像:定期船「あおしま」

定期船「あおしま」

島には、井戸も商店も自動販売機もない。飲料水や食糧、郵便物、新聞、これら生活に必要な物はすべて、定期船で運ばれてくる。
島内に自動車はないため、船から降ろされた荷物は、各自が台車を持って取りに来たり、船員やご近所同士が協力して各家庭に届けたりする。
島の生活において大きな役割を担っている定期船だが、冬場の時化の時期には欠航が相次ぐ。多いときには月の3分の1程度欠航することもあり、何日間も物資が届かないことも珍しくないと言う。万が一に備え、島のコミュニティーセンターには水や非常食などが備蓄されているが、それらに頼らなくても済むよう、島民は普段から食料や水を大切にした生活を送っている。

画像:船員から荷物を受け取る島の人たちと出迎える猫たち

船員から荷物を受け取る島の人たちと出迎える猫たち

 

青島神社

青島の氏神が祭られている青島神社は、集落の西側に位置し、鳥居をくぐり階段を上って振り返ると、集落と美しい海を見渡すことができる。
青島神社は旧村社で、石灯籠には文政11年(1828年)の文字が刻まれている。参勤交代の時には西国の藩主が寄港し、守護を祈願していたそうだ。
社殿には、秋祭りで使われる神輿のほか、赤穂浪士たちの肖像画などが飾られており、青島と赤穂とのつながりを感じさせる。

画像:青島神社と社殿の中

青島神社と社殿の中

 

十三勇士の殉難

島の東側に位置する弁天崎に、「嗚呼博愛死仁」と書かれた石碑が立っている。大正3年(1914年)1月7日、大時化で漂流していた打瀬船の救助に向かい、不運にも殉死した青島青年団13人の慰霊碑である。
青島に住む青年たちは博愛心に富み、海難事故の際はいつでも出動できるよう待機を怠らなかったそうだ。殉難者十三勇士の墓は、集落を見渡せる共同墓地に葬られている。

 

島四国

島内を散策していると、道端にたくさんの石像が見られる。近付いて見ると、それぞれに「○○番××寺」という文字が刻まれている。これは、石像を四国霊場になぞらえ巡拝するという「島四国」と呼ばれる習慣である。作られた年代は不明だが、戦時中は武運長久を願って巡拝していたそうだ。春に行われる島四国では、八重桜を楽しみながら巡拝することができる。

 

長い歴史を持つ青島の盆踊り

島では、8月14日と15日に盆踊りが行われる。300年ほど前、赤穂への望郷の念と無聊ぶりょうの生活を自ら慰めるために始まったと言われる「青島の盆踊り」は、県の無形文化財にも指定されている歴史ある行事である。
8月14日に行われる「亡者踊り」は、新仏を供養し、先祖の霊を迎えるもので、赤穂の四十七士に扮し、忠臣蔵の口説きに合わせて踊る。
翌8月15日の「大漁踊り」は、「賤ヶ岳しずがだけ七本槍」に登場する武将に扮して、魚の供養と大漁を祈願し、賑やかに踊る。
以前は、お盆の時期に合わせて帰郷する人も多く、子どもも大人も無礼講で朝まで踊り明かしたと言うが、近年は帰省する人も減り、昨年は人手が足りず開催することができなかった。青島盆踊り保存会では、「たとえ踊ることができなくても、伝統文化を継承していきたい」との思いを胸に、衣装の展示や島外での披露など地道な活動を行っている。

 

猫と観光

青島では平日、休日を問わず、観光客の姿が見られる。彼らのお目当ては、島で暮らす猫たちである。
観光客が増え始めたのは2013年、きっかけは有名な写真家が島に住む猫を撮影する様子がテレビで紹介されたことだった。漁村に猫がいる風景は珍しいものではないが、青島が他と違うのは、その数であろう。その昔、網をかじるネズミを駆除するために飼われていた猫が、犬や車などの天敵がいない島でどんどん繁殖し、現在は100匹以上生息しているとも言われている。
民家の軒先や浜辺など、いたるところで悠々と過ごす猫たちの様子は、「猫の楽園」としてメディアでたびたび取り上げられ、県内はもちろん、県外そして台湾や韓国などからも猫好きの観光客や取材クルーが訪れるようになった。

 

観光客増加による影響

ほんの数年前までは、来島者と言えばたまに訪れる釣り人ぐらいだった青島に、今では休日ともなれば定期船の定員いっぱいの観光客が訪れる。この現状に、ずっと昔から猫と共に暮らしてきた島民は、「猫のためになんでこんなに人が来るのかわからない」と困惑しているようだ。
猫が集まる漁港は島民の住居が密集する集落の中心に位置するため、猫を追いかけるうちに私有地に入り込む観光客も少なくない。また、ところかまわず餌をやったり、ごみを捨てて帰ったりするため、悪臭の発生や猫が体調を崩すといった問題も出てきた。島民のなかには、観光客を避け外出をためらうようになった人もいると言う。

 

青島での約束

このような問題が生じている要因として、「青島は観光地ではなく、あくまで島民の居住地である」という認識が観光客に足りないことが考えられる。そこで、大洲市や地元 長浜高等学校の生徒が、青島でのルールを策定し、島民の生活に配慮するよう観光客に注意を呼び掛けている。猫たちがのびのび暮らせているのも、ひとえに食事を与え、排泄物の掃除をしてくれる島民のおかげである。島民の生活を守ることは猫の楽園を守ることでもあることを忘れてはならない。

画像:定期船の中で配られる青島での約束

定期船の中で配られる青島での約束

 

おわりに

青島が猫島として注目されたことで、青島に興味を持ち、移住を希望する人もいると言う。しかし、漁業以外の仕事がない現状では、生計を立てるのが困難なことは明白である。そこで、島では新たな産業を模索し始めた。その1つとして、昨年から地域おこし協力隊がさつまいもの栽培に取り組んでおり、出来は上々だったそうだ。
島民と猫だけの生活に島外から来島者が現れたことは、戸惑いも多いにせよ、青島の未来について考えるきっかけにもなったのではないだろうか。長い歴史と豊かな文化を持つ青島の歴史が、今後も穏やかに続いていくことを願っている。

(川野 志子)

猫

参考文献
・「SHIMADAS」公益財団法人日本離島センター
・「原色日本島図鑑」加藤庸二
・「昭和55年 青島観光診断報告書」長浜町
・「生涯学習情報提供システム『えひめの記憶』」
愛媛県生涯学習センター

 

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