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愛媛の島

大島(八幡浜市)

2014.07.01 愛媛の島

タイトル

愛媛の島シリーズ第10回は、宇和海に浮かぶ自然豊かで風光明媚な島、大島を紹介する。

 

自然豊かな大島

八幡浜港から約12km、定期船でわずか25分のところに大島はある。周りの海はエメラルド色に澄み、島の形に沿って細長く伸びる集落は、周囲の自然と見事に調和している。
八幡浜市大島は、粟ノ小島、大島、三王島、地大島、貝付小島と連なる大小5つの島からなり、優れた海洋景観地として、佐田岬半島宇和海県立自然公園の一角を占める。大島と三王島、地大島はそれぞれ橋で結ばれ、海面すれすれの橋を通ると、まるで海上を走っているかのような気持ちになる。
大島、三王島、地大島には、多くの亜熱帯植物が繁茂し、夏には海辺にハマユウ(ハマオモト)が咲き乱れる。大島に自生するハマユウ、アコウは、亜熱帯植物の自生分布上、愛媛の北限として学術的にも貴重な存在となっている。

画像:三王島(写真中央)と橋

三王島(写真中央)と橋

 

大島の歩み

大島は当初、宇和島藩に属していたが、1657(明暦3)年、吉田藩の分知により吉田藩領地となり、その後、再び宇和島藩に帰属した。
無人島だった大島に人が移り住んだのは、今から350年ほど前の1669(寛文9)年、4代将軍徳川家綱の治世にまでさかのぼる。対岸にある穴井浦の庄屋であった井上五助が、宇和島藩から開拓許可を得て、渡海したのが初めとされている。ただ、人が住み着く以前から神社があり、穴井浦の人々の信仰を集めていたようだ。山王神社境内の石碑裏には「勧請年代不詳なれど此島に古くからあり、寛文2年以前の古社にて…」と記されている。また、平安時代の中期には、海賊・藤原純友の要塞の1つがあったとも伝えられている。
人が移り住んで以来、イワシ漁などを中心に栄え、畑地の開墾によって人口も増加した。1765(明和2)年には大島の家数35軒と代官に報告したとの記録が残っている。
1889(明治22)年には、真網代、穴井、大島の3つの浦が合併して、真穴村となり、1937年に真穴村から分離し八幡浜市に編入され、現在に至っている。

画像:開島300年記念碑

開島300年記念碑

 

夫婦の龍神が棲む大入池

地大島にある大入池おおにゅういけには、八幡浜市五反田にある保安寺の池から渡海した龍神さまと、周木・池之浦(西予市三瓶町)から渡海した龍姫さまの夫婦龍が仲良く棲むと言われている。大入池に入った龍神さまは、かつて育ててもらった保安寺に恩を感じ、そのお礼として、どんな干ばつでも、保安寺の住職が大島で雨乞い祈願すると、必ず雨を降らせたそうだ。それらの伝説は「龍神渡り」と呼ばれ、今なお語り継がれている。
また、この池の周辺は、国指定の特別天然記念物「ニホンカワウソ」が棲息していると言われ、特別保護地区に指定されている。

画像:大 入 池

大 入 池

 

愛媛最大級を誇るウバメガシ

神域とされる三王島にはウバメガシが群生し、1983年5月には市の天然記念物に指定されている。なかでも2本の巨木は、県内では最も大きいものとされ、全国でも屈指のものと言われている。山頂の木は根回り3.5m、高さ8mで、東南斜面山腹にあるもう1本は、根回り4.5m、地上1.3mの所で2本に分かれ、樹高は9mある。いずれも樹齢500年以上と推定されている。
また、この三王島からは宇和海の大パノラマが開け、佐田岬半島や日振島(宇和島市)、遠くは佐賀関製錬所(大分市)の煙突までもが見渡せる。また、水平線に沈みゆく夕日は、息を呑むほどの絶景だそうだ。

画像:ウバメガシ

ウバメガシ

 

国内最大規模のシュードタキライト

大島から三王島、地大島にかけての西海岸の約1.8kmにわたって、シュードタキライトをはじめとする変成岩類が露出しており、2004年9月30日には国の天然記念物に指定されている。
シュードタキライトとは、5~6千万年前、地殻変動(地震)が起きた際、摩擦熱で溶けた断層部の両側の石が急速に冷やされて固まった黒色ガラス質の岩石である。"地震の化石" とも呼ばれ、地震発生のメカニズム解明のために重要とされている。
シュードタキライトが地表で確認できるのは、全国でも数例しかなく、なかでも大島のシュードタキライトは国内最大規模だと言う。

画像:シュードタキライト(黒い筋状の部分)と変成岩類

シュードタキライト(黒い筋状の部分)と変成岩類

 

トンボロ現象が見られる貝付小島

大島の最東端にある貝付小島では、神秘的な現象を見ることができる。普段は海によって隔てられ渡ることができないが、引き潮になると地大島から道が現れて渡れるようになる(トンボロ現象)。ここでは、自然が織りなす造形美を堪能することができる。

画像:貝付小島

貝付小島

 

新たな挑戦への序章

1940年代後半には1,200人もの島民が暮らしていたが、今では275人(2014年4月1日現在)と4分の1を下回るまで減少している。また、ピーク時には300人いた小・中学生たちも、2009年の小・中学校閉校とともに姿を消した。さらに、高齢化率は64%と、離島における全国平均33%の約2倍となっている。
島の主要産業は漁業で、それ以外の雇用機会はほとんどなく、また、50歳未満の漁業従事者も減少している状況である。
「このままでは島が消滅する」という危機感を持った住民たちが、離島漁業再生支援交付金を活用して、安定的な雇用と所得をもたらす産業を創出しようと立ち上がった。

 

陸上養殖施設「大島産業振興センター」オープン

2005年から始まった離島漁業再生支援交付金を活用して、大島での新たな産業として養殖業の可能性について、住民が八幡浜市の協力も得ながら試験・研究を重ねていた。そして2012年9月、旧大島小・中学校の校舎を活用して、アワビやナマコの陸上養殖施設「大島産業振興センター」がオープンした。
同センターは、地元漁師が運営主体、八幡浜市が事務局となり、愛媛県や愛媛大学、漁協、民間養殖業者らが技術的な支援をするなど、産官学民の連携により、新たな産業として陸上養殖の事業化を目指している。
初年度は7,400個のアワビ稚貝と10,000個の稚ナマコの養殖からスタートし、今ではアワビ4,500個が出荷サイズとなっている。今年度も10,000個のアワビ稚貝を水槽に放った。天然アワビは出荷サイズになるまで通常3年かかるが、同センターでの陸上養殖では1年半程度で出荷サイズになるそうだ。一方、ナマコは、現在の施設で商品サイズにまで育成することは、技術的に困難であることが判明したため、一定のサイズまで育成した後、大島近海に放流し事業としては終了した。
アワビの養殖技術が確立されつつある一方で、販路の確保、量産化や採算性など、事業化までには課題も多いと言う。事業の中心的な存在である大島漁業集落の花谷幹春代表は「島で新たな産業が興ることで、島民がやりがいを持って暮らし、若者も定住できるような島にしていきたい」と力強く話していた。

画像:大島産業振興センター(中央4F建物)とその内部

大島産業振興センター(中央4F建物)とその内部

 

商品開発第1号"大島のめぐみ石けん"

女性が中心となって、島の特産品を使った商品開発にも取り組んでいる。その開発第1号となる"大島のめぐみ石けん" が昨年11月に誕生し、今年1月から販売を開始した。
大島のめぐみ石けんは、天然ナマコを加工する際に出る煮汁を濃縮し、瀬戸内海の塩を加え、ラベンダーの香りを付けている。保湿効果のあるコラーゲンを含んでいるため、乾燥・肌荒れを防ぎ、使用したその日から肌がスベスベになるそうだ。
大島のめぐみ石けんは、八幡浜にある道の駅「みなっと」で販売しているほか、インターネットでも購入することができる。

画像:大島のめぐみ石けん

大島のめぐみ石けん

 

島のオススメ

4月には地大島の山一面に桜が咲き誇り、夏の 時期は、エメラルド色に澄んだ海で海水浴が楽しめる。また、みなっとでレンタサイクルを借りて、美しい大島を自転車で巡ってみるのもオススメだ。

(土岐 博史)

参考文献
・「SHIMADAS」公益財団法人日本離島センター
・「八幡浜市誌」八幡浜市
・「大島歴史年表」大島地区公民館
・「離島の現状」国土交通省

大島データ

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