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愛媛の島

岡村島(今治市)

2014.05.01 愛媛の島

タイトル

愛媛の島シリーズ第9回は、瀬戸内海のほぼ中央に位置し、広島県と境を接する関前諸島の1つ、「ミカンと魚と蝶の島」として知られる岡村島を紹介する。

 

広島県と繋がる島

関前諸島は、今治港から約17km、愛媛の最北西端に位置し、岡村島おかむらじま小大下島こおげしま大下島おおげしまで構成されている。昔、海の関所があった大三島の前に位置したことから「関前」と呼ばれるようになったそうだ。
岡村島は、関前諸島の中で一番大きく、西端は広島県の中ノ島(無人島)と橋で結ばれ、「安芸灘とびしま海道」の7つの橋を通じて陸路広島県呉市と繋がっている。一方、愛媛からのアクセスは、今治港からフェリーで80分、旅客船では58分、また大三島宗方港からフェリーで23分となっている。

 

岡村島の歩み

古来より斎灘いつきなだの交通の要衝にあたり、平安時代には弘法大師や菅原道真などが立ち寄ったと言われる。戦国時代には村上水軍の城砦が築かれ、江戸時代には西隣に位置する大崎下島(広島県)の御手洗港とともに潮待ち港として栄えた。
明治に入ると、温州ミカンの栽培が始まり、柑橘栽培が島の主な産業となる。また、明治23年(1890年)の「町村制」公布により岡村と大下村が合併し、越智郡関前村が誕生、村役場が置かれるなど関前諸島の中心として機能してきた。
1989年には、準絶滅危惧種の珍蝶であるクロツバメシジミが発見され、「ミカンと魚と蝶の島」と呼ばれるようになった。現在、クロツバメシジミは食草であるツメレンゲとともに保護されている。
そして、2005年に関前村を含む越智郡11町村と今治市が合併し現在に至る。

画像:クロツバメシジミ

クロツバメシジミ

 

柑橘栽培に適した島

島の主な産業は、農業と漁業だ。産業別の従事者数をみると、農業従事者は約100名、漁業従事者は約30名、商業従事者は約20名となっており、第一次産業中心の産業構造となっている。
農業は主に柑橘栽培である。温州ミカン、紅まどんな、はるか、甘平などを栽培しており、「太陽」、「海からの照り返し」、「石垣からの照り返し」の3つの力により美味しい柑橘ができる。
漁業では、小大下島と大下島の間のいかり漁場で水揚げされた「いかりサバ」や「いかり鯛」、「いかりアジ」など新鮮な魚介類や12月から5月まで岡村島沿岸で採集されるひじきも島の名産だ。

画像:ミカン畑の風景

ミカン畑の風景

 

島の観光名所

島には、四季折々の景色を楽しめる名所が多く存在する。瀬戸内海の海峡美を楽しめるのが瀬戸内海国立公園観音崎である。岬の形が牛に似ていたことから古くは牛ヶ渚うしがなぎと称されていたが、後に観音堂が出来てからは観音崎と呼ばれるようになった。
戦国時代には村上水軍の観音崎城が置かれ、江戸時代の元文5年(1740年)には灯明台(灯台)が建設された。現在は復元された常夜燈が建っている。観音堂には、弘法大師が一刀彫した救世観音像が祀られており、「8月8日に御参りすると、千日は健康で過ごすことができる」と言われている。観音堂の御開扉は、直近では2012年10月に行われたばかりで、次回はおよそ30年後であるため、残念ながら観音像を拝観することは当分できない。

画像:見事な桜並木(観音崎)

見事な桜並木(観音崎)

また、観音崎の北側の山頂には白亜のナガタニ展望台がある。240度の大パノラマで瀬戸内海に浮かぶ島々を一望できるほか、2月上旬の石鎚山系の積雪、4月の桜、5月中旬のミカンの花、6月の芝桜、11月中旬から12月下旬のミカンの収穫期など、年に何度訪れても飽きることなく楽しませてくれる。

画像:240度の大パノラマ(ナガタニ展望台)

240度の大パノラマ(ナガタニ展望台)

 

汐亀松しおかめまつものがたり

関前諸島には、「お汐亀松ものがたり」という昔話が語り継がれている。観音像を守ってこの地で亡くなった亀松とその腹違いの妹、お汐の悲哀物語である。江戸時代、九州筑前の裕福な庄屋に生まれた2人は、財産目当てに亀松を毒殺しようとするお汐の母のたくらみから逃れるため、諸国巡礼の旅に出たが、旅の疲れが重なり、お汐は幼くして亡くなった。妹の冥福を祈って僧となった亀松は、やがてこの地にたどり着き、救世観音像を守りながら生涯を終えた。
1990年夏には、今治北高校と新居浜工業高校の生徒により、「お汐亀松」の大壁画が山の斜面を補強する防護壁に描かれた。

 

弓祈祷

毎年2月11日に行われる姫子隝ひめこじま神社の弓祈祷は県無形民俗文化財に指定されており、島外からも見物客が訪れる。まず、神官が東西南北・天地に向かって矢を射る動作をして悪魔祓いし、約15m離れた「鬼」と書かれた的に向けて一矢を放つ。その後、6名ずつに分かれた射手衆2組が交互に弓を射ることで、五穀豊穣や無病息災を祈願する。
写真の一番手前にいるのは、旧関前村に英語教師として勤務していたニューヨーク在住のフィリップさん。日本の風習に感銘を受け、帰国後も毎年、射手として岡村に"帰って"くるそうだ。

画像:姫子隝神社の弓祈祷

姫子隝神社の弓祈祷

 

急速に進む高齢化

岡村島でも人口減少と少子高齢化は深刻な問題だ。1997年度に774人いた人口は、2012年度には400人にまで減少しており、高齢化率は55.2%である。20年後の2032年度の人口は、さらに半分にまで減少するとみられている。児童数も減少しており、小・中学校を合わせた児童数は2013年度12名、2014年度は9名であり、廃校の危機が迫っている。悪くすれば、主要産業である農業や漁業の衰退、島の基盤である航路や公共施設の縮小、祭事の中止などが懸念される。
また、島には土産物店や飲食店、宿泊施設が少なく、観光産業で稼ぐことが難しいのが現実だ。安定的な収入を得られる産業がなければUターンやIターンで若者が島に戻ってくることは難しい。
しかしながら、暗い話ばかりではない。島を元気にする「地域おこし協力隊」の登場だ。

 

地域おこし協力隊の活動

今治市では2012年度から、島しょ部に移住し島おこしを手伝ってくれる人材を募っている。任期は最長3年で、「地域おこし協力隊」の隊員として活動し、最終的には島しょ部に定住することを目標としている。この活動は総務省によって制度化された事業で、今治市の隊員は現在12名おり、大三島や伯方、吉海、宮窪、上浦の住民となり活動している。関前地域で活動しているのは、東京のIT企業経営者から転身した成田晶彦さんと、東京のイベント会社でデザインを担当していた安井紫乃さんの2人だ。島暮らしを夢見ていたという2人は、岡村島の美しい景色や人の温かさ、島民全員と顔見知りになれることに魅力を感じ、移住を決意した。
都会から移住してきて困ったことはないかと尋ねると、「岡村島に来て、不便だと思ったことは一度もない」と口を揃える。ネット通販では、注文日の翌日には通常料金で商品が届くそうで、ITが島での生活をサポートしている。
今後、成田さんは農業で生産から加工、販売までを行う6次産業化を、安井さんはカフェやデザインの仕事に携わっていくとのことであった。また、島の名産を扱うインターネットショップも開設予定で、全国に岡村島の魅力を広めていくそうだ。

画像:左が安井さん・右が成田さん

左が安井さん・右が成田さん

 

待望のカフェがオープン

成田さんと安井さんが現在力を入れているのが、「瀬戸内しまのわ2014」の開催日3月21日にあわせてオープンした「まるせきカフェ」だ。カフェは空き家を改装したもので、岡村港の近くにある。青と白を基調にしたナチュラルテイストな外観は、路上に表示された自転車用のブルーラインともマッチし、今後島のランドマークとなりそうだ。カフェでは、「平日に利用できる飲食店が欲しい」、「焼きたてのパンが食べたい」という島民の要望に応え、土産物やパンを売り、軽食も取れるスペースを設けた。そして、地域おこし協力隊が中心となり開発した「関前スイーツ」の"ひめっこプリン"や"島の惠たっぷりパウンドケーキ"が提供されている。パウンドケーキは、レモンや島で栽培されているトロピカルフルーツの一種"フェイジョア"のほか、関前の特産品であるひじきが入ったものもある。なお、「ミカンは手を加えず食べるのが一番美味しい」とのことで、加工品のメニューには加えなかったそうだ。

画像:まるせきカフェ

まるせきカフェ

画像:ひめっこプリンと島の惠たっぷりパウンドケーキ

ひめっこプリンと島の惠たっぷりパウンドケーキ

 

おわりに

2012年10月に大三島の宗方港と岡村港を結ぶ航路が開設され、岡村島はしまなみ海道ととびしま海道を結ぶ拠点となったことから、島の楽しみ方が広がっている。気候の良いこの季節、自転車で岡村島の贅沢な景色とゆったりとした時間を味わってみてはいかがだろうか。

(菊地 麻紀)

参考文献
「SHIMADAS(シマダス)」(財)日本離島センター

岡村島データ

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