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愛媛の島

九島(宇和島市)

2013.11.01 愛媛の島

タイトル

愛媛の島シリーズ第6回は、宇和島港の沖合い4kmに浮かぶ、宇和島の"楽園"九島を紹介する。

 

九島の概要

宇和島市の西部、港からフェリーでわずか15分のところに九島はある。島名の由来は定かではないが、「宇和島市遊子ゆすから数えて9番目の島にあたるため」という説がある。
1934年9月に宇和島市に編入されるまでは、島方で あるはまぐり百之浦ひゃくのうら本九島ほんくしまの3地域と、対岸の地方ちがたであるわらび・平浦・小池・小浜こはま石応こくぼ ・白浜・坂下津さかしづ保手ほで戎山えびすやまの9地域とで九島村を形成していた。藩政時代から漁業が盛んであり、城下町宇和島への水産物供給地として早くから重要視されてきた。かつてはイワシ漁で栄えた島だったが、現在はハマチやタイの養殖が盛んに行われており、みかん栽培とともに島の主要な産業となっている。

 

島に多く残る伝説

九島には、島の東側、蛤港から約2kmのところに、「遍照山願成寺へんじょうざんがんじょうじ 」というお寺がある。地元の人は鯨大師とも呼んでおり、これは、この地域が昔、鯨谷と呼ばれていたことに由来するそうだ。ちなみに、鯨谷の由来には「鯨が浜に打ち上がった」「海岸にある岩が鯨に似 ている」など諸説ある。
願成寺には弘法大師の一夜建立寺伝説がある。時は816年、遍歴の途中、大師が赤松浦から九島に渡ろうとした際に、田の草を取っている農夫に舟を頼んだが、断られた。そこで、大師は「渡してくれれば後々まで雑草が生えないようにしてあげよう」と約束した。農夫は「水にも困っている」と言ったところ、大師は手にした杖で地面を打ち、清水が湧き出るようにした。それを喜んだ農夫は小舟を出して、九島へと送った。九島に着いた大師は、一夜で寺を建立しようとしたが、一棟を建てたところで、対岸の赤松浦から一番鶏の声が聞こえ、念願空しく、立ち去った。しかし、未完成の寺院ではあったが、「遍照山願成寺」と名付けて開山した。その後、赤松浦では田に雑草が生えないことに感謝し、建立を邪魔した鶏を飼わない、と誓ったそうだ。そして、清水は後に「お大師井戸」と呼ばれ、現在も枯れることがないそうだ。

画像:鯨大師

鯨大師

鯨大師の近くには、「松ノ木地蔵」と呼ばれるお地蔵様がある。由来は江戸時代に遡る。ある宇和島藩士が藩命で松の大木を切り倒し、島から運び出した。その藩士は、藩命とは言え、長く生き続けたであろう松の生命を絶ってしまったことを後悔し、せめてもの罪滅ぼしに「松の木の供養のためにお地蔵様をお祀りし、あわせて九島の人々の幸せを祈りたい」と、このお地蔵様を安置したそうだ。島には、このほかにも多くの伝説が残っている。

画像:松ノ木地蔵

松ノ木地蔵

 

島を見守る二十四輩にじゅうよはい

島には、至るところに小さな祠と石像、そして立て看板がある。島全体で45ヵ所ある祠は「二十四輩様」と呼ばれる、浄土真宗の開祖・親鸞上人の門弟24人を祀ったものである。今から120年以上も前に、島民が宇和島市高串の「ミニ八十八ヵ所巡り・地四国」を参考に始めたと言われている。毎年4月29日には「ご開帳」があり、島民や九島出身者が石像を巡拝する。数年前からは、「二十四輩様」を多くの人に知ってもらおうと、島民がメッセージを添えた立て看板や案内標識を設置しており、島民のあたたかい人柄に触れることができる。

画像:二十四輩様

二十四輩様

 

伝統文化「せんす踊り」「子供牛鬼」

九島ではお盆の頃に、「朝念仏」や「お数珠くり」、「せんす踊り」といった先祖供養の行事が行われている。なかでも「せんす踊り」は宇和島市の無形民俗文化財に指定されている。
明治末期頃のせんす踊りは「紙垂かみだれを持ってのアヤ踊り」とも言われたようで、若者中心の行事であった。本九島地区では昭和初期に華美になりすぎなどの理由で、年配者中心の行事になるも、戦後再び青年団の手に復し、16~18歳の女子が太鼓と七七七五調の口説文句に合わせ扇子を操りながら踊る現在のせんす踊りとなった。ちなみに、地域によって踊り方が違うそうだ。
宇和島といえば牛鬼が有名だが、九島でも毎年10月15日~16日の秋祭りになると、子どもたちが引く牛鬼の山車が島内を練り歩く。この牛鬼は「子供牛鬼」と呼ばれ、2009年に国土交通省「島の宝100景」に選ばれた。

 

九島楽園案内人

昨年、南予地域で開催された「えひめ南予いやし博2012」において、九島では島の自然を楽しめる「九島楽園案内人」というイベントが行われた。イベントでは、「島一周サイクリングコース」「花園散策コース」「トレッキングコース」の3つのコースが用意され、現在も維持されている。「島一周サイクリングコース」では、珍しい形の岩や宇和海の島々、リアス式海岸の景観を楽しめる。自分の自転車を持ち込むことも可能だが、島民の自転車を借りるレンタサイクルも用意されている。コース途中にある小高島には平家の落人が隠れていたという伝説もある。

画像:サイクリングコース途中にある小高島と竜王島

サイクリングコース途中にある小高島と竜王島

「花園散策コース」では、島の中腹にある3ヵ所の花園を巡りながら、のんびりピクニックができる。時間と体力があればハイキングコースとしても良い。
「トレッキングコース」では本格的なトレッキングを楽しめ、二十四輩様を巡る「石仏巡りコース」と花園巡りと鳥屋ヶ森とやがもりを組み合わせた「鳥屋ヶ森コース」の2つがある。いやし博期間中には、300人以上の人が九島を訪れ、3コースの中でトレッキングコースが1番人気とのことであった。いやし博終了後も、サイクリングやトレッキングを目的に九島を訪れる人が増えており、現在でも無料で、島民がガイドをしてくれる。
そして、もっと多くの人に九島の良さを知ってもらおうと、今年10月から11月末まで島の観光スポットを巡って文字を集め単語を完成させる「ワードラリー」イベントが行われている。正解者には抽選で島産ミカン1箱が当たる。

 

ニホンカワウソ最後の保護地

国の天然記念物であるニホンカワウソは、かつて北海道から九州まで、日本全国に広く生息していたが、乱獲や開発による生息環境の変化で激減した。そのニホンカワウソが、最後に保護された場所が九島である(1975年4月)。そのとき、保護されたニホンカワウソは弱っていたため、間もなく死んでしまった。1979年以降目撃事例がなく、昨年8月には環境省のレッドリスト改訂で絶滅種に指定された。指定後も愛媛県内では目撃情報が相次いでいることや、絶滅種に指定するための調査が愛媛県内では行われていなかったことから、県は今年1月から調査を始めている。

画像:ニホンカワウソが保護された場所

ニホンカワウソが保護された場所

 

島民の夢かける「九島大橋」

島民は離島であるがため日常生活の不便さ、特に救急医療や災害時の不安を抱えながら生活している。例えば、島内の医療機関は診療所1ヵ所しかなく、救急医療体制が整っていないため、急患発生時には島民の船またはフェリーで一旦宇和島港へ渡り、救急車で搬送している。九島の自治会は1987年に当時の市長らに、交通の利便性向上や医療、福祉など行政サービスの格差を是正するために、架橋の陳情を行った。それから、地元や市は協議会や準備委員会を立ち上げ、九島架橋に向け事前調査や整備計画を進めてきた。
2008年度から事業化に向けて測量などの調査を始め、2010年度に国の事業に採択され、今年に入り、ついに架橋事業が本格着工した。九島大橋は2016年3月の完成を予定している。この橋は全長468mで、宇和島市坂下津-蛤をつなぐ。完成すれば、島と市内中心部の移動時間は車で約10分となる。
島民にとって、九島大橋は長年の夢であった。いつかくる橋の完成を夢見て、島民たちで雑木林を整備し、その橋を望むことができる公園を作り上げている。この公園を「望橋園」と名付けていることや、すでに周囲を含めた公園の整備を行っていることからも、島民たちの架橋への強い思いを感じることができる。そして長年の夢である九島大橋を島の活性化にも役立てようという動きも始まっている。

画像:望橋園から望む九島大橋の建設予定地

望橋園から望む九島大橋の建設予定地

 

豊かな自然と人情あふれる"楽園"

九島には特別な施設も飲食店もない。しかし、そこには澄み切った空と海、豊かな自然があり、何よりあたたかく迎え入れてくれる島の人たちがいる。 大自然と美しい景色であふれた宇和島の"楽園"で、 ゆったり過ごしてみてはいかがだろうか。

(國遠 知可)

参考文献
「SIMADAS(シマダス)」(財)日本離島センター
「宇和島市誌」 宇和島市誌編纂委員会

九島データ

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