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四国の城

高松城(香川県高松市)

2012.05.01 四国の城

くろーずあっぷ「四国の城シリーズ」の第5回は、香川県高松市にある高松城を紹介する。高松城の史跡は「玉藻公園」として一般に公開され、市民の憩いの場となっている。

 

高松城の歴史

高松城は、天正15年(1587年)に、讃岐の国の大名となった生駒親正いこまちかまさが、天正16年(1588年)に築城を開始した。生駒家の統治は4代54年間続いたが、生駒騒動と言われるお家騒動により、寛永17年(1640年)4代目城主高俊は、出羽(秋田県)由利郡矢島1万石に移された。この後、讃岐の国は一時空藩となり、伊予三藩が、讃岐の国を預かったとされている。寛永19年(1642年)になって、徳川家康の孫(水戸光圀の兄)の松平頼重よりしげが高松城に入り、親藩の高松藩が誕生した。将軍家と近親関係にあった頼重は、中四国の監視役を命じられていたと言われている。その後、明治2年(1869年)の版籍奉還まで、高松松平家は11代228年にわたって城を守った。
明治17年(1884年)、天守は老朽化を理由に解体された。
明治23年(1890年)、高松城は高松松平家に払い下げられたが、昭和29年(1954年)に、高松松平家より高松市に譲渡され、翌年(1955年)から玉藻公園として、一般公開され現在に至っている。

 

日本三大水城の一つ

高松城は、瀬戸内水軍の押さえとして瀬戸内海に面して建てられた城で、日本三大水城(高松城、今治城、中津城(大分県))の一つに数えられている。
明治期に外堀は埋め立てられ、現在ではその姿を確認することはできないが、中堀、内堀の一部は現存する。これらの堀には海水を引き込んでおり、タイやスズキ、アジなどの姿が見られる。堀が海水で満たされている城は全国的にも少なく「鯛願城就」のステッカーを作成したり、餌やり場を各所に設けたりするなどして観光資源として活用している。
平成16年に台風16号が接近した時には、高潮の影響で海水が市街地に大量に流入した。このとき、高松城の堀は、海水を受け止め、市街地へ流入する海水量を減らしたと言う。

画像:「鯛願城就」ステッカー

「鯛願城就」ステッカー

 

最盛期には20万坪

生駒親正が選地した頃、この付近は「野原」と呼ばれており、港町が広がっていた。親正が築城を行い「野原」の地名を『高松』に改め、さらに城下町として発展していった。
最盛期の高松城の経始(縄張り)を「高松城下図屏風」で見ると、その大きさに驚かされる。推定面積は約20万坪(66万m2)で現在の玉藻公園の約8倍、東京ドームのグラウンド面積約50個分の広さになる。
現在の地図を重ねてみると、「西の丸町」「丸の内」など城内だったことがうかがえる地名が今も残る。東西に延びる外堀は、片原町、兵庫町商店街にあたるとのことだ。
現存する構造物は、艮櫓うしとらやぐら、月見櫓、渡櫓および水手御門だけであるが、かつては城内の要 所に約20の櫓があり、威容を誇っていたと言う。

画像:高松城下図屏風(香川県立ミュージアム所蔵)

高松城下図屏風(香川県立ミュージアム所蔵)

 

旭(あさひ)橋と旭門

玉藻公園には東西にそれぞれ入り口がある。東側にある旭門には旭橋が架かっている。旭橋は門に対して斜めに架橋されており、敵の正面からの攻撃を防ぎ、横矢をかける構造となっている。

画像:旭橋・旭門(東口)

旭橋・旭門(東口)

 

艮櫓(うしとらやぐら)

石垣の上から大きく張り出す艮櫓は、その名が示すとおり、北東(海側)の守りの要として東の丸にあったが、昭和42年(1967年)に旧太鼓櫓跡の現在地(市街地方向)に移された。

画像:艮櫓

艮櫓

 

高松藩松平家の泳法

玉藻公園内で「高松藩松平家の泳法」という立て札を見つけた。
「讃岐の国は海辺の国なれば水練は武道の一斑たるべし」と、高松城の堀を使い水泳指導を行ったことが記されていた。その泳法は、水戸藩の水術である「水府流」を基とした「水任流」として、現在も水任流保存会が伝承に努めており、毎年6月の第1日曜日には、内堀にて英公様(松平頼重公)追悼游泳祭が行われている。

画像:追悼游泳祭の風景

追悼游泳祭の風景

 

天守台修理復元へ

生駒親正が築城した当時の天守の造形は、一番上の層がそのすぐ下の層より大きい南蛮造りと言われるもので、外観は三層だが内側は四階、それに石垣を加えて五階の建造物であったと言われている。天守の復元を望む声はあるものの、現存する天守に関する写真・史料は少なく、具体的な再建計画が立てられないのが実状のようだ。
こうしたなか、高松市では、天守の土台となる天守台の石垣修復を進めている。天守台の解体修復工事は平成18年度から進められ、平成24年1月に完成した。石垣は高さ13メートル(23段)まで積みあがり、当時の迫力ある姿が再現された。
解体に際しては、石垣を元の位置に復元できるよう、一石ごとにカルテ(約9,000枚)を作り取り組んだ。修復のため新たに使用した石は、10%程度に抑えたと言う。
今後、天守台に観覧台などを整備し、平成25年度から一般公開される予定となっている。新たに設ける観覧台は、瀬戸内海が望める天守台の北西に設置され、観覧者は復元された石垣を使って天守台に上がることができる。

 

藩主の別邸「栗林荘」

藩主の別邸として整備されたのが、「栗林荘」こと、現在の栗林公園である。
栗林公園は、江戸時代初期の生駒家から松平家5代にわたり約100年かけて整備されたもので、大名庭園の中でも傑作と言われている。昭和28(1953)年には重要な文化財庭園として国の特別名勝に指定された。平成21年には、ミシュラン観光ガイドに「わざわざ訪れる価値のある場所」として最高評価である3つ星に選定された。
栗林公園は、当時の藩主の暮らしぶりを偲ばせる貴重な資料になっている。

画像:栗林公園風景

栗林公園風景

現在、香川県は「うどん県」として内外にアピールしており、讃岐うどん店をはしごしながら高松城と栗林公園を散策してはいかがだろうか。

(友近 昭彦)

高松城データ

画像:地図

所在地高松市玉藻町2-1(玉藻公園)
別名玉藻城(たまもじょう)
築城者生駒親正(いこまちかまさ)
歴代城主生駒家、高松松平家
入場料大人200円 小・中学生100円
問い合わせ先 玉藻公園管理事務局
TELL:087-851-1521

※文中の「頼重」、正しくは画像:漢字表記と表記します。

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