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愛媛の登録有形文化財

鍵谷カナ頌功堂(松山市西垣生)

2010.03.01 愛媛の登録有形文化財

かぎカナしょうこうどう」は、伊予絣の創始者・鍵谷カナの功績を称えるために、伊予織物同業組合が昭和4年(1929年)に建立したものである。

鍵谷カナ(1782年~1864年)は、垣生村今出、現在の松山市西垣生町に生まれた。カナが生み出した伊予絣のアイデアは、わら葺き屋根の葺き替えの時に生まれたと言われている。押竹にくくられた部分のわらは白く、日に当たっていたわらは褐色に変化してきれいなまだら模様を描いていたのを見て、織物に応用できないかと考えた結果、伊予絣を考案したと言われている。  カナの命日である5月28日には、毎年地域の人々によって、長楽寺(頌功堂の正面に位置する)を中心に鍵谷祭りが行われている。

鍵谷カナ頌功堂は、鉄筋コンクリート造の8本の円柱が瓦葺の屋根を支えている。8本の円柱と八角形の瓦屋根からなる外観が記念堂らしい空気を醸し出している。
 屋根を支えている円柱は、中央部に微妙な膨らみが見られる。これは、建物に視覚的な安定感を持たせるために、ギリシャ建築によく使われたエンタシスという手法である。細部にわたり、設計者木子七郎のこだわりが見られる。中心部には八角柱の頌功碑があり、83歳の高齢で永眠した鍵谷カナの功績を称える文言が刻まれている。
 なお、頌功堂は現在老朽化し、危険なため、敷地の中に入ることはできない。頌功堂内には句碑がある。句碑には、「朝もずに夕鵙にかすり織りすすむ」という地元が せいげつ生んだ俳人・村上せいげつの句が刻まれている。今出地区において、朝から晩まで絣を織る機の音が鳴り響いていた様子がうかがえる。

伊予絣

久留米、備後と並ぶ日本三大絣の1つ。  伊予絣は、農村向けの作業着や布団用の絵絣などに用いられた木綿の紺絣であり、染色には正藍を利用している。  織機の発展に伴い、生産性が向上し、複雑な美しい織物が可能となったことで、伊予絣の生産量は拡大していった。1900年頃には、生産量は日本一となり、日露戦争直後の最盛期の年産は、247万反(全国の絣生産量の25%)に上っていた。

また、句碑には「報恩謝徳自彊不息」との文字が刻まれている。これは「伊予絣を創始した鍵谷カナの御恩をありがたく思い、その御恩に報いるため、自分たちも休まずに努力して励む」との思いをつづったものと言われている。
 このように、かつてはこの地域において伊予絣は重要な産業であった。明治28(1895)年10月には、霽月と交流があった正岡子規が今出(西垣生)を訪ね、「花木槿はなむくげ 家ある限り 機の音」という句を詠んでおり、当時の繁栄ぶりがうかがえる。しかし残念ながら、現在、この地区で機織を専業とし生計を立てている家は1軒もないそうだ。
 鍵谷カナのアイデアは、地場産業としての伊予絣を日本一にまで成長させたのである。その意味からも、頌功堂は地方に生きる人間に勇気と希望を与えるものであると思う。

(友近 昭彦)

犬伏武彦EYE

伊予絣の創始者・鍵谷カナの功績を称え、後世に伝える記念堂としての設計をいかにすべきか?依頼された木子七郎は、その結果として「鉄筋コンクリート造・八角堂風」を生み出した。今出絣株式会社社長を務めた村上半太郎(霽月)も頌功堂建築に深く関わったと考えられる。後年、家人に次のようにもらしている。「僕の家のような木造はいつかは消える。その意味から鉄筋コンクリートで建てた鍵谷カナの顕彰記念堂は永久に残る…」と。

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