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西日本レポート

【広島県福山市】新しい世代に受け継がれる「にぎわいのあるまちづくり」を目指して -福山市・久松通りにみる中心部商店街活性化への取り組み-

2005.04.01 西日本レポート

新しい世代に受け継がれる「にぎわいのあるまちづくり」を目指して -福山市・久松通りにみる中心部商店街活性化への取り組み-

新しい世代に受け継がれる「にぎわいのあるまちづくり」を目指して

JR福山駅に程近い「久松通り」は、若者が集まるにぎわいのある商店街として全国的にも注目を浴びている。今回は、行政・TMO(福山商工会議所)・商店街が一体となって中心部商店街活性化に取り組んでいる事例を紹介したい。

TMO(タウンマネージメント機関)とは、事業者と共同で高度化事業を計画し、関係者相互のパイプ役を担うまちづくりのためのプロデューサーとして、事業のスムーズな実施を推進する組織のこと。

中国地区の一大都市“福山市

福山市は広島県の東南端、瀬戸内海に面した山陽道のほぼ中央に位置する備後地域の中核都 市である。1961年のNKK(現・ジェイエフイーホールディングス)の工場進出をきっかけに急速な成長を遂げた。1998年には「中核市」へ移行、近隣 町村との合併を経て、2003年には人口40万人を超える都市となった。現在、中国地区で4番目の人口規模を誇っている。また、岡山県にまたがる半径 30kmの商圏には約100万人の居住人口があり、中核市にふさわしいまちづくりに力を入れている。

久松通りの概要と変遷

福山市中心部には複数の商店街が存在し、長年にわたって当地の商業を支えてきた。中でも、JR福山駅の南400mに位置する久松通りは中心的な存在であり、国道2号線を挟んで南北270mに伸びる商店街には、約70の商店が立ち並んでいる。
その始まりは大正時代にさかのぼる。地元の商店が定期的に夜店を出し、夜の憩いの場として古くから市民に親しまれてきた。久松通りという名前は、「久松城 (福山城)」とその通りに面する活動写真館「久松館」の名称にちなんで名付けられたといわれているが、1960年代にはアーケードが完成し、大手企業の進 出に伴って人口も急増、福山市の中心街を代表する商店街として発展した。
1970年代には商店街のにぎわいがピークを迎えたが、その後は相次ぐ 郊外商業施設の進出により、商圏の分散化が進み、人の流れも変わっていった。また、不況の長期化により個人消費は不振を極め、中心部の空洞化は加速した。 商店街は、相次ぐ閉店により空き店舗が目立つようになり、人通りもめっきり減少した。さらに、財政難から修復できないまま老巧化したアーケードが沈滞ムー ドに拍車をかけた。

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久松通りの“復興”へ向けて

こうした現状をふまえ、福山市では1998年の「中心市街地活性化法」の施行を受け、 JR福山駅を中心とするエリア(約187ha)を中心市街地に定め、翌年に「福山市中心市街地活性化基本計画」を策定し、再活性化を目指すことにした。ま ず、福山市は「賑わいの道づくり事業」として、電線類の地中化を中心とする道路の整備を行い、合わせてTMOは福山久松通商店街振興組合と共同で「久松通 りリノベーション事業」として、新しい商店街づくりに取り組んだ。官民一体となった久松通りの復興計画がここに出来上がった。
元々、TMOでは 新規出店する事業者に対して、1年間の家賃半額補助(1995年から実施)などの空き店舗対策に取り組んでいたが、抜本的に商店街を見直すといった観点か ら、アーケードの撤去などそのコンセプトについて地元関係者で徹底的に話し合った。その結果、「四季を感じる道型パーク」を目指し、オープンモールの商店 街にすることが地元の総意で決定された。

「久松通り」のまちづくり

「久松通り」のまちづくり

生まれ変わった「久松通り」

生まれ変わる商店街の「シンボル」については、「四季を感じる道型パーク」をコンセプトとしてオープンモールとヨーロッパ風の明るい色調で「ファサード(通りに面した建物正面の外観)」を統一した。
景観の形成として、オープンモールにマッチする植木とクラシックデザインの街路灯を設置した。植木を照らすアッパーライトは、街路灯とともに、夜の街路景観を演出している。
そのほかにも様々な工夫が凝らされている。リニューアルに合わせ、北側と南側の2ヵ所にポケットパークを設置した。このポケットパークが担う機能は2つ挙 げられる。まず、「オアシス機能」。来訪者がくつろげるベンチや木陰などを配置した。もう1つは「コミュニティ機能」。市民が様々なイベントを行う広場と して活用することができるようにした。なお、南側ポケットパークには、芸術活動が盛んな福山市にちなんで、野外彫刻を設置した。
また、通行上の 障害にならないように、電線類の地中化に伴い設置する路上機器をすべてポケットパークに集中させた。これにより、バリアフリーが実現され、子どもや高齢 者、障害者まで幅広い市民が利用しやすいまちとなった。さらに、夜間は車の通行が可能なため、歩行者の安全を確保する目的から歩車道区分の色分けと車の減 速を促す「蛇行路線」を採用した。

ポケットパークと野外彫刻 植木を照らすアッパーライト(右上)

ポケットパークと野外彫刻
植木を照らすアッパーライト(右上)

先進的な取り組みが評価される

当地の中心市街地活性化の取り組みは、全国でも先進的であったことから、ひときわ注目を 浴びた。そのまちなみが評価され、平成13年度都市景観大賞「美しいまちなみ賞」を受賞した。この賞は、国土交通省が、官民一体となって美しいまちなみの 創出や保全を行っている地区に対して贈られるもので、商店街振興組合としては、全国初の受賞であった。
現在も、全国各地の自治体・商店街関係者などによる現地視察が相次いでいる。商工会議所だけでも、これまで50件程度の訪問を受けたそうだ。

リニューアルの効果

これまで紹介したように、久松通りは大きく変貌を遂げたが、約4年が経過した今でも、にぎわいを保っている。
2003年にTMOが実施した中心街の通行量調査においても、他の商店街に比べて減少に歯止めがかかっており、リニューアル効果がみられたようだ。
また、空き店舗対策として行っていた家賃補助は、現在はとりやめたにもかかわらず、恒常的な空き店舗はなくなっている。
リニューアル後の最も大きな変化として挙げられるのが、休日に若者がまちに集まってきたことである。これによりまちに活気が戻り、若者向けのブティックや 飲食店が増えている。中でも話題を集めている店は、貸衣装店がファサード整備にあわせて創設したチャペル。30~40人収容の小規模な施設であるが、最近 の「ジミ婚」ブームを背景に好評だそうだ。
一般的に、アーケードの撤去に伴い最も懸念されるのは、雨などの悪天候や夏場の直射日光などによる客 足の鈍化である。ただし、この商店街に限って言えば、景観が整備されたことで、商店主はもちろん、市民にも快く受け入れられ、全体的に客足への影響は少な く、デメリットはあまり感じられないようだ。

これから克服すべき課題

TMOによると、「ハード面での目標は一応達成したが、商店街活性化へ向け、まだまだ克 服すべき課題は多い」という。主に2つの課題を挙げられたが、まず1つめは、構造上、商店街が国道2号線によって南北に分断されていることである。駅や大 手百貨店「天満屋」に近い北側に人の流れが偏り、商店街の南側と北側ではにぎわいに格差がみられる。2つめは、商店主の高齢化と後継者不足である。全国的 にいえることだが、後継者がおらず、廃業や閉店を余儀なくされるケースもみられ、次世代を担う若手の人材育成が今後の課題である。当商店街の伝統的行事の 1つに「毎度夜店(6~8月開催)」がある。毎年、大勢の人でにぎわっており、市民にとっても楽しみの1つとなっている。こうしたイベントを続けていける かどうかも、後継者次第であり、世代交代が円滑に行われなければ、存亡の危機にさらされることになる。
また、今後は中心市街地の活性化という広いスタンスで、近隣に位置する天満屋などの大型商業施設や他の商店街との連携を模索することも選択肢となるだろう。長期的な取り組みも必要であり、まさにこれからが正念場といえる。

中心街ネットワークの実現に向けて

久松通りのリニューアルは一定の成果をあげたが、福山駅周辺地区整備や中央公園地区整 備、市街地再開発など複合的な取り組みは現在も進行中である。久松通りに程近い「北浜通り」でも2005年度中にファサード整備事業が実施される予定であ り、福山駅前地区でも大規模な整備事業に向けて、地権者との調整が進んでいる。
また近年では、駅周辺に分譲マンションが建設され、中心地区に居住者が戻る傾向にある。居住空間と商業施設が共存することにより、中心街ネットワークの実現へ向けた動きが加速していきそうだ。

おわりに

現状では中心市街地活性化事業は途上の段階であり、「点」の動きであることは否めない。 今後、本格的にこれらの動きが広がり、「面」の動きへと進展するにつれ、各方面からの注目度はさらに高まることになるだろう。建物などのハード面だけでな く、安らぎ、情報といったソフト面がバランスよく機能することで、魅力あるまちが構築されるものと思われる。新しいまちづくりの“完成版”に向けての取り 組みに注目したい。

(大塚 伸治)

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