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まちおこし

愛媛県大洲市 「おおず赤煉瓦館」を活かす市民の“まちづくり”(2000年10月) 

2000.10.01 まちおこし

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 このシリーズは、愛媛県内各地の“まちづくり”の中心となって、ユニークな取り組みを展開している「人」とその活動内容を紹介している。第2回目は、愛媛県南西部に位置する人口約4万人の都市であり、今年7月に四国縦貫道が開通した、大洲市の“まちづくり”を取り上げた。

近代大洲の歴史的シンボル
-おおず赤煉瓦館-

 伊予の小京都と呼ばれ、落ち着いたたたずまいの大洲市。とりわけ、木造で風格のある商店が軒を連ねるのは、肱南地区の本町・中町界隈。通りを一歩入ると、一際目立つ赤煉瓦の建物が目に飛び込んでくる。この建物は1901年(明治34年)に大洲商業銀行として建築されたもので、その後は警察庁舎や大洲商工会事務所としても使用された、近代大洲の“歴史的シンボル”である。国内でも数少なくなった赤煉瓦造りのこの建物は、91年に「ふるさと創生資金」を活用して整備・保存され、市民や観光客の“憩いの場”、「おおず赤煉瓦館」として生まれ変わった。館内には、大洲和紙や竹細工などの地元物産品売場のほか、喫茶コーナーや研修室、展示室などが設けられている。

 

アイデアと行動力のある8人の女性
-おおず赤煉瓦倶楽部-

 市の有形文化財でもある赤煉瓦館の運営は、「おおず赤煉瓦倶楽部」に任されている。同倶楽部は97年に結成され、8人の女性メンバーが自由な発想で企画・運営している。リーダーは松本三枝子さん。結成以来、赤煉瓦館の中心的な役割を果たしてきた。
 「煉瓦づくりの建物には、やさしさがあります。ここは、煉瓦の良さと明治の雰囲気をたっぷり味わうことができる“憩いの場”です。」と、松本さんは笑顔で語る。そして、「楽しい企画をよく思い付きます。アイデアがひらめいたら、すぐ行動に移すのが私たちの強みです。」と、倶楽部メンバーの“発想の豊かさ”と“抜群の行動力”を強調する。
 同館では毎週展示会が開催されており、地元や南予地域の芸術家の作品を中心に楽しむことができる。最近では大洲出身の「中野和高(なかのかずたか)」(1)や、宇和島出身の「高畠華宵(たかばたけかしょう)」(2)の作品展も開催され、市民や観光客から好評を博した。また、地元高校の美術部や市民グループの作品展も頻繁に行われるなど、女性ならではの温かみのある企画は、市民に特に親しまれている。
 「私たち自身もこれらの活動を楽しんでいます。今度は、ここでコンサートを開きたいですね。」松本さんたちの夢は大きくふくらんでいる。赤煉瓦館の中庭に素敵な音色が響き渡る日が待ち遠しい。

 

「まぼろし探偵団本舗」作の露天市
-我らのポコペン横丁-

 “まちづくり”活動の担い手は、そこに住んでいる市民自身である。赤煉瓦倶楽部の積極的な活動は、市民の“まちづくり”意識をさらに高めることにもつながっている。
 赤煉瓦館横の広場では、市民グループ「まぼろし探偵団本舗」(団長:大谷光さん)の手によって、昭和30年代をイメージした昔懐かしい露天市「ポコペン横丁」が毎月第3日曜日に開催されている。 このイベントは、市民自身が郷土の古い町並みの良さを再認識し、市民参加の“まちづくり”の輪を広げようと、大谷さんらの発案で始まった珍しい企画である。
 レトロムード漂うなか、十数カ店が骨董品やアクセサリー、ガーデニング用品などを販売しているほか、衣類のフリーマーケットもあり、親子連れなどの大勢の参加者で賑わっている。会場には、電力会社の協力で、裸電球の街灯が付いた古い木製電柱も設置され、時代イメージを演出。赤煉瓦館周辺では、明治・大正期にこだわった地元挙げての“まちづくり”が始まっている。

ポコペン横丁

ポコペン横丁

 

新しい“まちづくり”のシンボルに

 赤煉瓦館は過去の大洲の繁栄を物語る歴史的シンボルであるが、「おおず赤煉瓦倶楽部」の活発な活動により、新しい“まちづくり”のシンボルともなっている。大洲市の“まちづくり”は、けっして派手な活動ではないが、市民自らが企画し、楽しみながら一つ一つ手作りで取り組んでおり、市民の“地域”と“まちづくり”に対する関心も日々高まっている。今後も、「おおず赤煉瓦倶楽部」や「まぼろし探偵団本舗」など市民グループのますますの活躍が期待される。

(畠岡 宏一)

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(1)中野和高: 1896~1965年(明治29~昭和40年)。
                            大洲市出身の洋画家で黒田清輝の指導を受けた。フランス留学の経験を活かし、帝展や新文展で活躍した。
(2)高畠華宵: 1888~1966年(明治21~昭和41年)。
                            宇和島市出身の日本画家。大正から昭和初期にかけて、「少年倶楽部」や「少女画報」などの多くの挿絵を手掛けた。

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